世間的通念

映画「甘い抱擁(原題:The Killing of Sister George)」を観た。

この映画は1968年のアメリカ映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の主人公は、ジューン・バックリッジという女優だ。ジューンはアップルハーストという番組で、ジョージという看護婦の役を演じている。ジューンはジョージという役柄で、国民的人気者だった時もある。ジューンは老年期の女性だ。

ジューンには、同棲している長年付き合った恋人アリスがいる。ジューンとアリスは同性愛者だ。つまりレズビアンなのがジューンだ。

映画の舞台は、ロンドンだと思われる。ロンドンはイングランドに存在する首都だ。ちなみにイングランドウェールズスコットランド北アイルランドを合わせて、UK(ユナイテッド・キングダム)という。

イングランドウェールズで、21歳以上の男性同士の同性愛が合法化されたのは1967年だ。スコットランドでは1980年に男性の同性愛が合法化されている。イギリスには当然女性の同性愛者が存在していて、異性愛者よりは厳しく取り締まわれていたようだ。

1929年には、バレリー・アーケル‐スミスという人が、コーネル・ベーカーという名で、女性と結婚しようとして、有罪になっている。つまり、女性の同性愛者の結婚は、禁じられていたのだろう。

この映画の、ジューンとアリス(チャーリー)は、同棲しているが、結婚はしていない。ジューンとアリスが変装をして、レズビアンのクラブの余興の練習をしている時、ジューンは口元に髭を書いている。それは、2人の関係性において、ジューンが男性の役割を負っているということを明らかに示している。

映画中でも、ジューンは自分が気に入らないことがあると、男性と同じように汚らしく相手を罵る。老人女性の優しさという古典的なものをジューンに求めても無駄だ。なぜなら、ジューンは心は男だからだ。

ただし、その男らしさは、1960年代のもので、今の若い男性と比べるとかなりガサツだ。威張り散らしていて、女性への配慮というものがない。「お前を拾ってやったのは、俺なんだからな」と、ジューンは平気で、アリスに言う。

ジューンは、BBCのテレビ番組に、ジョージという役で、出演している。皆、ジューンとはジョージのことを呼ばない。皆、ジューンのことをジョージと呼ぶ。それぐらい、ジューンはジョージとして、長く演じてきて、一時は国民的人気者になったということだ。

この映画では、ジューンは終始悪態をついている。だが、それには理由がある。ジューンは、ジョージという役を下ろされそうになっているからだ。いつ自分の役である、ジョージが番組の中で死ぬのか、最初はそれがジューンの心配の種だ。そしてそれが、現実になっていく。

ジューンもアリスも、同性愛者だ。それは、2人が社会的に弱い立場にあることを示している。男性の同性愛がイングランドで合法になったのが1967年だ。当然、同性愛そのものに対する偏見がイングランドにはあっただろう。

レズビアンの2人も、社会的偏見と闘って生きていたのだろう。

映画の中で、ジューンが酔って、2人の尼さんが乗っている車に乗って、尼さんにちょっかいを出すシーンがある。今の時代ならセクハラだ。映画中では、ジューンの行為にタクシーの運転手がキレる。

「お前は尼さんに対して何をしているんだ!! タクシーから降りろ!!」といった具合に。ジューンが女性で、女性に、しかも聖職者に、しかも2人に、性的なちょっかいを出した、というのが問題なのだ。

女性同士の性的関係。聖職者の性的なものを排除する傾向。多数の人と同時に性的関係を持つことへの憎悪。それらが、この映画の1シーンに同時に存在している。ただ、ジューンのしていることは、ジューンがセクハラ親父だと考えると、とてもどうしようのないことだが。

しかし、セクハラとは言えど、それは同時に、世間への挑戦になっているのも明らかだ。女性の同性愛。聖職者の恋愛結婚。同時多数恋愛。それは、家父長制が社会の規範となっている世の中で、厳しく禁じられるものだ。

聖職者の禁欲。それは、家父長制を補完しているのか? 家父長制の法的縛りとなるのが、結婚だ。結婚は、聖職者が立ち会って行われる。聖職者は、処女マリアから、キリストが生まれたと信じている。

つまり、聖職者にとっては、そのようなキリストの話が出来上がったくらいに、性というものはタブーになっている。なぜそこまで、セックスを忌避するのかと言えば、それは、婚外間におけるセックスは、婚外子を産み、婚外子は財産の分割の数を多くしてしまうからだろう。

つまり、家父長制は、聖職者のセックスタブー視と、同時に存在することが可能で、聖職者のセックスタブー視は、家父長制にとって都合の良いものだからだ。淫乱な聖職者が、結婚式を取り仕切っていては、家父長制をとる国にとっては都合が悪い。

そのような状況で差別されるのが、ジューンやアリスのような同性愛者だ。家父長制は、親の財産を子供が受け継ぐことが基本となっている。単純に考えると、女同士の間では、子供はできない。女同士でも子供を譲り受ければ、子育ては可能だが。

「キッズ・アー・オールライト」という映画では、レズビアンカップルが子育てをする様子が描かれていた。レズビアンの人が、子育てをして、子供はすくすく育つ。そういうものだ。家父長制が抱きそうな偏見など、ただの思い込みに過ぎない。

この映画「甘い抱擁」では、レズビアンのセックスが描かれている。そのセックスの描かれ方が、ジューンの元から、クロフト副部長が、アリスを寝取る、という形で描かれている。そして、その背景の音楽はオドロドロしい。

この音楽は、恋人を寝取られる人の心境を現わしているのか? それともレズビアンのセックスのタブー視を現わしているのか? それは、よくわからないが、恋人を裏切るセックスというものが存在しているかのようだ。

この映画のジューンは、アリスへの嫉妬を隠さない。自分より若くて美人なアリスが、いつ浮気をするのか? それと同時に、アリスの若さへの嫉妬が見て取れる。

老いて、性的魅力が世間的にないとみられ、この先、アリスのような性的魅力がある女性に出会えるかわからない、世間的な見方に支配されたジューンは、アリスに対して厳しく当たる。

それは、実は、家父長制のような世間的見方を身につけたイングランドの一般大衆と、一般的に流伏している性的価値観を心に抱かざる得ないジューンとの、類似点だ。世間的見方は、人の心を貧しくするのかもしれない。