男性による支配

映画「The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ(原題:The Beguiled)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の舞台は、アメリカのシビル・ウォー=南北戦争時代の、1864年バージニア州のマーサ・ファーンズワース女子学園だ。アメリカのシビル・ウォー=南北戦争とは、アメリカが北と南に分かれて戦った、アメリカの内戦のことだ。

アメリカの北の軍隊のことを北軍・Unionと呼び、南の軍隊のことを南軍・Confederacyと呼ぶ。UnionもConfederacyもともに連邦という意味がある。この戦争の争点は、奴隷制の廃止が維持かだ。

北軍奴隷制の廃止を目指す工業地帯の軍隊で、南軍は奴隷制を利用したプランテーション農園を経営する白人たちの支持する奴隷制を維持しようとする軍隊だ。南部には、KKK(クー・クラックス・クラン)と呼ばれる組織があった。

その様子は、映画「國民の創生」という黒人蔑視の差別的な映画でも描かれているし、映画「風と共に去りぬ」の中でも暗にその存在が示されている。KKKは、いわゆる白人が白い頭巾を被って正体を隠し、黒人を捕まえてリンチして、時には黒人の性器を切り取ったりして殺す、というようなことをしていた白人至上主義の団体だ。

映画「ブラック・クランズマン」では、そのKKKに潜入捜査をする黒人の警官と、白人の警官の、潜入捜査の様子をコメディタッチで撮っていた。KKKができたのは、1865年12月24日とされている。

この映画「ビガイルド」の時代は、シビル・ウォーが3年目に入った1864年だ。シビル・ウォーは、1865年5月26日に終わっているので、KKKはシビル・ウォーが終わった後に誕生していることになる。

ならばKKKは、シビル・ウォーが終わって、黒人人種差別がアメリカの憲法の修正第13条で禁止された頃に誕生したといえる。つまり、KKKのしていることは憲法違反であり、KKK憲法違反をするために作られた集団だ。

KKKは非合法だから覆面をして行動する。がしかし、南部ではKKKのような態度をとる白人が多かった。KKKの非合法さを黙認していたのが、アメリカ南部という土地だ。憲法で黒人の権利が保障された後も、黒人に対する差別は根強く残っていた。

この映画の舞台のバージニア州は、南部で北軍を敵とする州だ。この映画には、黒人が登場しない。この映画の舞台になる学園の屋敷には、黒人の奴隷労働者がいない。学園にいるのは7人の白人女性だ。だから、敷地は荒れ果てている。

ある時、学園に生徒として住んでいる一人の少女が、森で北軍の兵士を見つける。鬱蒼とした、黒人が鞭うたれて吊るされていたような木々が立つ森の中に、北軍の若い兵士が足を負傷して横たわっている。

この場合森とは、少女の精神の内部を表していると考えるとどうか? 森で見つけるのは、若い男。つまりは、この少女の性欲の目覚めを現わしているかのようなのが、この映画の冒頭のシーンだ。

その冒頭のシーンでは、その少女はキノコ狩りをしている。キノコは男性の性器の象徴と見ることができる。森でキノコ狩りをしていたら、そこで若く傷ついた男を発見する。これは、少女の性欲の目覚めを現わしているシーンだということができるだろう。

女性7人が住んでいる屋敷に、若くハンサムな傷ついた男性が入ってきたらどうなるか? ポイントは、南部では戦争で男手がなくなっていること。そして、もっと残酷な雰囲気を思わせるポイントは、男性は南軍ではなく、北軍の兵士であることだ。

アイルランド出身の白人移民で、200ドルぐらいの金額でシビル・ウォーの北軍の兵士となり、南部での戦いで傷ついた、ジョン・マクバーニー伍長が、その白人男性だ。南部の男性なら、7人の女性たちも簡単に気を許しただろう。

しかし、7人の女性の所にやってきたのは、傷ついた北軍の男性の美男子だ。北軍の兵士は、南部の軍隊に差し出して殺してしまうこともできる。つまり、この兵士の運命は、この7人の女性たちが握っている。

ということは、ジョンは7人の女性の奴隷同然の状態に置かれることになる。そして、南部には白人の男性がいない。つまり、女性たちは性欲のはけ口である、男性を求めている。だから、ジョンは7人の女性の都合の良いペットのような存在になる。

ジョンを見つけた少女は、亀を飼っている。これもキノコと同じ男性器の象徴のような動物だ。その亀に餌を与えながら、ジョンについて考えている。映画の終盤には、ジョンはこの亀を少女から奪って投げ飛ばす。

なぜなら、カメは7人の女性に飼われている自分の姿と同じだからだ。その亀のことを考えると、ジョンは自分の不遇な状況を思い起こし、そこに怒りを抑えずにはいられないのだろう。

この実社会では、女性の権利の拡充が望まれているが、それはなかなか達成には至っていない。日本でも女性差別は残っているし、特に中東やアフリカなどの地域では、女性が男性に支配されている形態が残っている。

アフリカでは飢餓に陥ると、男性に優先的に食料が配られる。それは、女性がダイエットのためと粗食をしているとある日本の、アメリカの、西欧の、北欧の国の女性よりももっと酷い状況だ。

ダイエットも華奢な女性は美しいという社会的通念が生み出した現象で、そこには女性が美しくて男性にもてる女性になりたいという願望がみえる。そしてそれは、女性が心から望んでいるものとは考えにくい。なぜなら、人間は食欲があるのだから。しかし、食欲が薄い女性もいるかもしれないが。

確かに肥満は、病気を伴いできれば避けたい状況だ。だが、過度なダイエットは、男性のもしくは女性の“美しい女性は細い”という規範を内面化した故の、過剰な反応であるとも考えることができる。パリのファッションショーの女性の細さは、男性うけする女性を好む女性の意思が生み出したものではないのか?

だから、先進国の女性は、体のラインまでも自分の思い通りにはできないとも言える。そしてそれは、情報が世界に溢れる社会では、発展途上国でも同じことになっているのかもしれない。体のラインの維持が、女性のコントロールの外部にある意志のようなものに従っている。

中東では、女性の生殺与奪権は、男性の支配の下にある。女性の子供を殺すのも、妻を殺すのも、家父長である父の夫の自由だ。最近(2022.12.27 Democracy Now!)でも、アフガニスタンタリバン政権が、大学出の女性の就職を禁止する、ということをした。

中東では、女性の権利が非常にないがしろにされている。女性は生理が始まると、自分の意思ではなくで、家父長である父親の意思で、自分よりはるかに年上の男の所に嫁がされる。これが、中東の日常だ。

この映画「ビガイルド」では、その男性と女性の立場がひっくり返る。そして、南部の男性社会の中で、南部の女性たちが、自分たちの思い通りになる、傷ついた美男子をどのように扱うのかが、この映画の見どころだ。

映画「日の名残り」のように、この映画「ビガイルド」では、女性の抑圧された性欲について触れられている。そして、その抑圧は、映画を観ている者にも押し迫ってくる。