映画「異端者の家(原題:Heretic)」を観た。
この映画は2024年のアメリカ・カナダ合作映画で、映画のジャンルはサイコ・スリラーだ。
この映画の主な登場人物は3人だ。その3人とは、モルモン教の宣教師の2人、シスター・パクストンとシスター・バーンズ。そして、バーンズとパクストンがモルモン教の勧誘のために訪れる家の主のリードだ。
この映画のテーマは、支配だ。支配とは、人を意のままに動かすことだ。この映画には、例えば、前述した登場人物を縛る支配が存在する。それは、モルモン教徒の信仰で、もう1つは家の主で家を支配しているリードだ。
人の行動を束縛して意のままに人を動かし仕事をさせること、それが支配だと言うことができる。モルモン教もリードのような家父長も、人を支配することで共通する。モルモン教徒は教義により人を支配する。リードは家父長制の規範により人を支配する。
この映画の中で、家父長であるリードは、自分の家に訪ねてきた女性2人をリードの支配下に置くべく、2人の信じているモルモン教の2人の中のイメージを覆そうとする。リードは、パクストンとバーンズの信仰を崩壊させようとする。
この映画の全体が、映画を観る者の”信仰”、つまり「既成概念」を壊すことが目的として存在する。そして、この映画の主な登場人物の3人のパクストンとバーンズとリードは、映画を観る者のための”生贄”だ。だが、これはあくまで映画だが。
既成概念が壊れた先には何があるのか⁇ それは、その既成概念が壊された者にとってまだ知られていない世界観だ。既成概念を壊すこと、つまり、「すでにその人の中に出来上がっている物事の関係性の見方や物事の本質と思っていること」を壊すことにより、その当人の中に新しい物事の関係性や本質を作り出すのが、この映画「異端者の家」だ。
つまり、この映画「異端者の家」は、支配のために人々が持つ既成概念を壊す役割をする。そして、その後にどんな既成概念、つまり支配の形態がやってくるかは、この映画「異端者の家」では、わかりやすく明らかにされない。
既成概念が壊れて次にやってくる新しい概念の集合は一体どんなものか⁇ この映画「異端者の家」では、そこまでは明示されない。だが、この映画「異端者の家」は宗教や音楽やハンバーグなどをコテンパンに叩きのめす。この映画で、叩きのめされるものは、とりあえずは新しい規範の良いことの欄には組み込まれないだろうことが予測される。
既成概念の崩壊。既成概念とは、その人が信じている物事全てだ。朝は早起きが良いとか、夜は早く寝るのが良いとか、新聞を読むのが良いとか、天気予報を見るとか、結婚しなければならないとか、子供を作らなければならないとか。
既成概念は、とにかく自分の信じているもの全てだと考えて良い。その既成概念が全て壊れた後に、一体何がやってくるのか⁇ ただ世界観がひっくり返るだけか⁇ 何か新しい概念が設立されるのか⁇ それともジル・ドゥルーズの言うリゾームが、心の中に出来上がるのか⁇
何が本当に必要かを、取捨選択する。そのためには、思考の軸となる規範が必要だ。この映画「異端者の家」では、カメラが逆さまにパクストンを移し、そして逆さまに移った映像から通常の重力による上下に戻るシーンがある。
ここから読み取れるのは、既成概念が壊れた後にやってくるのは、今まで信じていた規範の逆のことが正しいとされる世界観だということだ。今まで信じていたものが反転する⁇ つまり善が悪となり、悪が善となる⁇ 否、その程度で満足してはいけない。
善と悪がただ反転した世界観を持つだけでは、ただのバカの一つ覚えだ。善と悪を反転させるのは、第一段階かも知れないが、その次にはその反転した善悪の真偽を確かめていく必要がある。そして、そのためには、物事の本質を見極めれる視点が必要だ。
物事の本質を見極める視点は、どこから手に入れるか⁇ それは、自分の世界観を反転させた人物から得られる物もあるかもしれないが、それでは足りず、一角の本や論文等を読む必要が出てくるかもしれない。それは、学問かもしれない。
既成概念が壊れる→世界観が反転する→善が悪になり、悪が善になる→その反転した世界観が本物か自分で見極める力をつける→そのために例えば学問等が重要になる。既成概念が反転した後に、概念の集合を作り上げるのは自分だ。
繰り返しになるが、とすると自分が何を信じているかが問題となってくる。自分の新しく信じたものが、自分の中に新しい概念の集合を作り上げる。例えば、その時真実だと思われるものは、学問だったり、本だったり、論文だったり、音楽だったりする。
今まで信じていたものが覆る経験をした人は、どれくらいいるのだろうか⁇ 例えば、優しいと思っていた男性が、ただの暴力男だとわかったとか。同性愛に理解のある人だと思っていた人が、実はただの差別主義者だったりとか。
自分が入社した会社は、社会的貢献をしていると思っていたが、実はただのブラック企業だったとか。社会福祉施設は、従業員にとってはただの搾取工場だったとか。今まで、自分が信じてきたものが、バタンと倒れて、その向こうにドス黒いものが見える時。
そのような体験をした人は、一体どれくらいいるのだろうか⁇ 自分の信じていたものが崩れ(例えば、テレビのニュースが嘘だった、とか)、新しい何かをまた一から自分の中に作り上げること。そのためにエネルギーを使うこと。
信じている枠組みが崩れるのを、人は嫌う。なぜなら、信じている枠組みを作るのは、とてもエネルギーがいることだからだ。筆者も、大学時代に、人や読んだことによって、自分のそれまで持っていた世界観が崩れたことがある。そして、その崩れた世界観の再構築をしているのが、その後の人生だったと言っていいと思う。
自分の信じているものが崩れ去る。そして、そこに新しく信じるものを作り上げる。自分の信じていたものが、ドス黒くただ悪質なものだったと知った時に、そこには既に新しい世界観が生まれ始めていると言っていいと思う。
自分の信じていたものが、ドス黒く、それを信じていた自分もドス黒かったと気づいた時に、その人の中で変化が起こり始める。その変化のことを、革命と呼ぶのかもしれない。信じていたものが崩れ去り、そこに何か今まで見たことがないものが現れる。
新しい規範が、古い規範を壊すのかもしれない。この映画「異端者の家」は、信仰と無信心の両方ともを壊す。そして、何か新しいものを見つけ出している自分に、映画を観ている者を気づかさせる。
この映画「異端者の家」は、サイコスリラーという形をとって、映画を観る者の既成概念を壊し、自分の中にある真の価値観、つまり新しい価値観に気づかさせる。それは、一夫一妻の家父長制に反対だから、不倫をする程度のレベルではないことは明白だ。







