服の持つセクシャリティ

映画「ラストナイト・イン・ソーホー(原題:Last Night in Soho)」を観た。

この映画は2021年のイギリス映画で、映画のジャンルはタイムリープ・ホラーだ。

この映画の主人公は、エロイーズ・ターナーという18歳の女の子だ。エロイーズ、通称エリーは、コーンウォールのレッドルースに住んでいたが、ロンドンでファッションを学ぶために上京する。

エリーは、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションという、ロンドンの国立のロンドン芸術大学に合格した。それで、上京をすることになる。

エリーは、寮の相部屋で暮らすことになるのだが、そのルームメイトのジョカスタという、ロンドンにマンチェスターから来ている、ロンドン暮らしが1年先輩の女の子とそりが合わない。エリーの母親は、エリーが幼いころに死んでいるのだが、その事実を伝えると、「いきなり、母親が死んだことを言うなんておかしい」と間接的に言われてしまう。

エリーは、新しい学生生活の出だしを挫かれてしまう。寮ではルームメイトと上手くいかないし、パーティが開かれて夜も寝られない。ルームメイトは、狭い相部屋に男を連れ込んで、エリーの前でセックスを始める。

そこで、エリーはグージ通りにあるグージ・プレイス8番の部屋に引っ越す。そこは、ソーホーと呼ばれる地区だ。ソーホーは、1980年代以降にファッション街になったが、それ以前のソーホーは、性風俗店や映画産業施設が並ぶ歓楽街だった。

女優や歌手志望の女の子が、性風俗店で働き、映画産業の重役に性的に有償で奉仕して、気に入られたら、舞台などに出演できるという道筋があったようなことが、この映画の中では匂わされる。

なぜ2021年の18歳のソーホーに住む女の子が、1980年以前のソーホーのことと関係を持つようになるか? それは、この映画がタイムループするからだ。そしてそのタイムループは、エリーの病的な状態と解釈される。その解釈とは、統合失調症だ。

統合失調症とは、一般的に幻覚や幻聴を聴いたりする精神的な病気として知られている。つまり、エリーのタイムループは、統合失調症の症状である解釈することで、この映画は、現実的であるという体裁を保つことが可能になっている。

さて、エリーはどの時代とタイムループするのか? 別の言い方をすれば、どの時代の幻覚を見るのか? それはエリーが憧れる1960年代のソーホーの幻覚だ。言い方を変えれば、エリーは1960年代のソーホーにタイムループする。

エリーは1960年代にタイムループすると、アレクサンドラ通称サンディという、歌手志望の女の子になる。サンディは歌手志望で、映画産業の関係者が来る性風俗店のステージで歌うことを希望している。夢見る女の子だ。

カフェ・ド・パリという店の、女の子の世話役のハンサムな男と仲良くなり、ステージに立つ約束を取り付ける。しかし、実際は、ステージというのは、猥褻なダンスを踊るステージで、サンディの思い描いている歌手のステージとは程遠く、ステージの女の子たちは、客を相手に性的なサービスをしているという状況だった。

つまり、性風俗店は、映画産業を目当てに集まってくる女の子たちの夢に付け込んで、風俗嬢として働かせて、儲けていたのだ。そこで、女の子たちの世話役のジャックの言う言葉はこうだ。「歌手になりたかったら、客にサービスしろ」。

エリーは、60年代のファッションに憧れる女の子だ。エリーは60年代のサンディの着ている服に憧れ、自分でそれを作ろうとする。そのファッションは、人目をひくファッションだ。つまり女性や男性を誘うのがファッションである、ということができる。

ファッションは女性の視線だけでなく、男性の視線を引く。その男性の視線とは、性的なものでもある。つまり、ファッションを作るということは、性的な視線をコントロールすることでもある。この映画を通じて、エリーはその事実に自覚的になる。

60年代のアレクサンドラ、通称サンディは、ソーホーにある自分の部屋に客を連れ込んで、金をもらってセックスをしていた。自分の夢が、ソーホーで叶えられると信じて。だから、サンディは徐々におかしくなっていく。

自分の夢に向かっているはずが、実際は男たちにしたくもない性的なサービスをさせられている。アンディにとって、性産業は望んでいた仕事ではなかった。しかし、世話役のジャックが、夢のためだと、性サービスの客をとるようにしつこくせまってくる。逃げ出しても捕まる。

おかしくなっていくサンディと、エリーの精神状態がリンクする。エリーは眠れなくなり、周囲の人間が、自分を性的に欲しがる男たちの亡霊に見えるようになる。現実と夢の区別がつかなくなり、エリーは夜眠ってからタイムリープするのが恐くて、眠れなくなる。

女の子たちの夢を利用して、性産業店で女の子たちを働かせる性風俗店。60年代女性の就職口があまりなかった時代に、女性が簡単にお金を稼ぐ方法だった売春。世界最古の仕事である売春は、1960年代でも、お金を稼ぐのに簡単という性質を変えてはいなかった。

エリーは、寮を出て、服を買うお金が無くなったために、近くのパブで働くことにする。それがもし60年代であったら、お金を簡単に稼ぐ方法として、性風俗店があった。学費を稼ぐために性風俗で働くという話は、なんだか最近でも聞いたことのあるような話だ。

女性の職業選択の幅が狭い時代というのが、数十年前には存在した。ヴィクトリアン・モラルに従って、女性は結婚のために生きるのだと。選択肢は結婚のほぼ一つだった。それしか、安定した暮らしをしてく方法がなかった時代だ。

結婚以外で高額な収入を得る職業として、性風俗店は存在した。しかし、性風俗店で多く客がとれるのは、若い年齢の時だけだ。性風俗店は、長期的な就職には向かない。もし、性風俗店で働くのが自分の天職だと感じている女性がいたとしても。

服は、人の目を引き付けるものだ。そこでは、服を着る人が、服を選んで、服を着た本人は、自分に対する周囲からの視線を、自分の望む自分の姿と合うように、コントロールする必要がある。

服は、セクシャリティの点でも重要だ。女性が、男を誘う服を着るとする。それは、特定の男を誘う服装ではないかもしれない。そこで、問題が生じる。服が多くの男たちをひきつけすぎる可能性があるからだ。

この映画「ラストナイト・イン・ソーホー」は服の持つ、性的な力を感じさせる映画だ。人目を引きつけるとは、どういうことなのかを、この映画を観る人は考えずにはいられない。