人間の現実

映画「何がジェーンに起ったか?(原題:What Ever Happened to Baby Jane?)」を観た。

この映画は1962年のアメリカ映画で、映画のジャンルはサスペンス・ドラマ映画だ。

この映画の主人公は、ブランチ・ハドソンとジェーン・ハドソンという姉妹だ。この姉妹の父親は、ピアノとバンジョーを演奏することができるミュージシャンで、幼いころのジェーンはこの父親と一緒にステージに上がり踊って歌っていた。

一方、ブランチは、幼いころは妹のジェーン影に隠れて目立たない存在だったが、大人なると映画で実力派女優として成功を収めた。一方ジェーンは、酒に溺れて、映画に出演するも、ブランチとは違い評価を受けなかった。

そして、そんな時、ブランチとジェーンは事故を起こす。そしてこの事故が、2人の人生の老年期に悲劇を起こす直接的な原因となる。

その事故とは、車の事故だ。ブランチの成功に嫉妬したジェーンが、ブランチを車で轢いたというのだ。その事故で、ブランチは下半身が動かなくなる大けがを負うことになる。実は、この事故は詳細な点で間違いがある。

そしてその間違いが、ジェーンの人生を大きく狂わすことになる。その間違いとは映画のラストで明らかになる。その間違いとは、実はジェーンは、ブランチを車で轢いてはいなかったというものだ。

その事故の夜、ふらふらに泥酔していたジェーンは、車から降りた。そのジェーンを、その夜のパーティでジェーンに馬鹿にされたブランチが、車でジェーンを轢こうとした。その時、さらりとジェーンは身をかわし、車は柵に激突、ブランチは背骨を折る大けがを負い、歩くことのできない体になった。

この姉妹は、父親に芸人として育てられて、ライバルとして幼いころからいがみ合っていた。その姉妹の愛憎を伴ういがみ合いが、車の事故を引き起こし、そしてその後の、老年期の2人の、この映画でメインとして描かれる虐待劇を引き起こす。

この「ジェーンに何が起ったのか?」は、ジェーンのブランチへの虐待を描いた映画であり、ジェーンが虐待を隠そうとして、事態がより悪い方向に進んでしまう悲劇的な映画でもある。

ジェーンとブランチのいがみ合いは、芸能における競争が作り出したものだ。父親が生活のために子供を教育する物語の結果が描かれるのが、この映画だ。この映画の中で、姉妹間の競争は非常に危険なものとして描かれる。

その競争により姉妹間の関係は、嫉妬と愛憎にまみれたものとなる。その嫉妬をより深くしているのは、ジェーンが姉のブランチより若くして成功したことにある。そして、ジェーンはそれに加えてわがままな子供だった。そして、ブランチは妹のジェーンの成功が大きいほど、心の中にある嫉妬はより深くなる。

ジェーンは子供のころ成功して、大人になると成功とは程遠い状態になる。逆にブランチは子供の頃は芽が出なくても、大人になって名声を手にする。この成功のすれが違いも、2人の間に悲劇を呼ぶ原因となる。

老年期のジェーンとブランチは、一つの家で暮らし、ブランチは下半身が不自由なので、メイドのエルバイラと、妹のジェーンが、ブランチの介護をしている。ブランチは車いすで2階の部屋に住んでいる。家も財産もブランチが若いころに稼いで得たものだ。

ジェーンは映画の仕事の不振からか、酒浸りになり、精神を病んでいる。車によるアクシデントも、ジェーンの心の負荷になっている。姉のブランチに対して、明らかに嫉妬に満ちた態度をとる。

「私が子供のころ稼いだから、今ブランチは暮らすことができているのよ」これが、ジェーンの姉に対する思いだ。ジェーンの態度は横柄で、いつも酒ばかり飲んでいる。そして、子供時代の栄光に浸っている。

ジェーンの姿を見ていると、成功のもたらす悪魔的な部分が見えてくる。成功で、態度は傲慢になり、姉からの嫉妬を買ってしまったジェーン。成功は、生活をする金を与えてくれるが、人の関係を壊す。それがこの映画に現れている。

精神が崩壊しているのは、ジェーンだけではない。ブランチも精神的に不安定だ。ジェーンの持ってくる料理がなんなのかに、いつも怯えている。小鳥やネズミが皿にのった料理を見て、ブランチはジェーンの仕打ちに恐怖するようになる。

そして、ジェーンに平手打ちされ、ベッドの上に動かないように拘束された、ブランチは精神的にも、肉体的にも疲弊していく。ジェーンを責めることもできるが、ブランチがその原因を作ったとも言える。

ジェーンの生活は、ブランチに監視、拘束されていた。その監視、拘束からの解放をジェーンは願い、実行に移すのだが、その際に悲劇が起きてしまう。ブランチはジェーンに、秘密がばれているのではないかと不安になるのかもしれない。もしくは、ジェーンが自分のせいで、病んでしまったことに負い目を感じているのかもしれない。

つまり、ジェーンもブランチも、嫉妬でおかしくなっているのだ。一見発言からまともに思えるブランチも、実は、妹への嫉妬と猜疑心と負い目で、精神的におかしくなっている。そこに老いが拍車をかけている。

ジェーンにもブランチにも家族がいない。家族がいても虐待をするような家族なら意味がないのだが、2人は優しい家族の支えというものを受けていない。女優という仕事を優先するあまり、子供も夫も持つ機会がなかったのだ。

結婚すればキャリアが終わる。夫は、妻が表に出ることを望まないかもしれないし、子供ができれば子供の面倒をみるのは妻の仕事になり、女優としてのキャリアは終わってしまうかもしれない。

そんな不安が、ジェーンとブランチを孤独のままにしておいたのだろう。独立した女性がどのように幸せに生きることができるのか? その難しさがこの映画の中に描かれている。

人は誰もが、幸福に生きたいと思っている。ただ世界は不条理なので、幸せに生きようとしても幸せに生きることのできない人もいる。いや、もしかしたら幸せに生きることができている人はいないかもしれないとこの映画は、思わせるつくりになっている。

ジェーンとブランチの家のご近所さんの専業主婦とその子供も、新聞の仕事の募集の広告からジェーンの元にやって来るエドウィン・フラッグという仕事にあぶれた男性も、その母親も皆どこかしらおかしい。そして唯一まともに見える、家政婦のエルバイラもきっとおそらくメキシコ系の移民で、貧困の中にいるのだろうとも考えられる。

この理想の生活から程遠い人々の姿が、実際の人間の姿なのかもしれない。そう思わせる説得力が、この映画にはある。