ひとつのパイの奪い合い

映画「アモーレ・ぺロス(原題:Amores Perros)」を観た。

この映画は2000年のメキシコ映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画は映画「21グラム(原題:21 Grams)」(2003年)、「バベル(原題:Babel)」(2006年)、「BIUTIFUL ビューティフル(原題:BIutiful)」(2010年)、「バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)(原題:Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance)」(2014年)、「レヴェナント:蘇えりし物(原題:The Revenant)」(2015年)などの数々の作品を世に送り出しているアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの初監督作品だ。

この映画のタイトルのAmores Perrosとはスペイン語で直訳すると、愛犬という意味になる。この映画についてのインタビューでこの映画の監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは、この映画に登場する黒い犬と白い犬はそれぞれ、黒い犬はお金持ちの人たち、白い犬は貧しい人たちのメタファーなんだと答えている。

イニャリトゥが言うとおりに、この映画では犬が人間の登場人物にとっての重要な役割として登場する。この映画は3部構造になっており、そのどの部分でも犬が登場する。

第一部のオクタビオとスサナではコフィという黒い犬が、第二部のダニエルとバレリアでは白い犬が、第三部のエル・チーボとマルでは、再びコフィという黒い犬が登場する。各部ごとのタイトルは、人の名前だ。

第一部では、オクタビオは兄嫁のスサナと不倫関係になっていき、オクタビオは愛犬の黒い犬コフィを闘犬に出場させそこで稼いだ金をスサナに渡している。オクタビオとスサナは家族として同居しており、彼らは貧しい労働者階級だ。

第二部では、ダニエルとバレリアという人物が不倫をしている。ダニエルは雑誌を持っている金持ちで、バレリアは広告契約を持っているプロの成功したモデルだ。2人は家に白い犬を飼っており、その犬の名前はリッチーつまり金持ちという名前だ。

第三部は、エル・チーボという大学教授から活動家になりゴミ拾いをしながら人殺しの仕事を受けている初老の男と、その娘マルとのすれ違いの人生を描く。エル・チーボはマルにとっては今は亡き父親ということになっている。

この三部構成には犬以外にも彼らに接点がある。それは、一つの自動車交通事故に巻き込まれることによる。その事故で、オクタビオとバレリアとエル・チーボが交差することになる。オクタビオ闘犬で起こったいざこざで追われていて車で逃げている際に信号無視をして、交差点に突っ込み、そこでバレリアの乗った車とぶつかり、その事故が原因でバレリアは後に足を切断することになる。エル・チーボはその事故の救助に関わりその際に、オクタビオ闘犬で稼いだ金を盗む。そして、いざこざの際に拳銃で撃たれた闘犬コフィを治療して助ける。

監督がfilmmakermagazineのインタビュー(https://filmmakermagazine.com/archives/issues/winter2001/features/humane_society.php)に答えているように、この映画で犬は重要な役割を果たす。貧乏な人の象徴である黒い犬コフィは、犬を食い殺しながら生きている。それはまるで人間が優勝劣敗の世界の中で競争をしながら一つのパイをむさぼり食いながら生きている様子を描いているかのようだ。

白い犬リッチーは金持ちの人の家で暮らしながら、ある日主人が明けた床の下の穴に落ちてしまう。この犬の飼い主のバレリアは言う。「リッチーがネズミに食べられてしまう」と。リッチーはネズミに食べられることはないのだが、ネズミはここでは貧しい人の象徴だろう。金持ちの財産を、貧しい人が再分配をして奪ってしまうといったところだろう。金持ちは、人の分まで取ってリッチなどと言ってもてはやされているにすぎないのに。

黒い犬コフィは、エル・チーボに助けられるが、エル・チーボの飼っていた数匹の犬を食い殺してしまう。そして、エル・チーボは、悲しみにくれるがその現実を受け入れる。コフィを闘犬に育てたのは、飼い主である主人だ。そう、人間を競争するように仕向けるのは上部階級が作ったシステムだ。ならばコフィは、コントロールの被害者でもある。

2021年に公開された映画に「プラット・フォーム(原題:El Hoyo)」というスペイン映画がある。その映画では200以上の階層からなるある部屋に入れられた人物たちが、上から降りてくる食べ物を食べて生活していくというものだ。

食べ物は、上の階の人が食べたものの食べ残しだ。つまり均等に、食べ物を分け合わないと最下部の人の食べるものはなくなってしまう。そこでは、人が一つのパイをむさぼり食うということだ。この映画「プラット・フォーム」は、「アモーレス・ぺロス」とよく似ている。

映画「アモーレ・ぺロス」から21年経った後に、このような映画が作られるのは世界が何も変わっていないからかもしれない。