真剣に生きる

映画「栄光のル・マン(原題:Le Mans)」を観た。

この映画は1971年のアメリカ映画で、映画のジャンルはカー・アクション映画だ。

この映画の主人公は、マイケル・デラニーというカー・レーサーだ。

マイケルはポルシェのカー・レーサーとしてル・マン24時間耐久レースに出場する。ル・マンでは走った距離の長い車が優勝する車となる。速い車ほど、距離を多く走ることになるので、よっぽどの故障で時間をロスしない限り、速い車=長く走った車が優勝となる。

マイケルはこのレースの前に、フェラーリの車とレース中に事故を起こして、相手のフェラーリの運転手が事故死するということがあったばかりだった。その死んだレーサーの妻が、リサという女性でこの映画の中で登場する。

リサはフェラーリのレーサーの男と付き合っている。フェラーリの死んだレーサーの妻が、未亡人になって、同じフェラーリのレーサーと付き合っている。この映画の中で、リサの付き合っているレーサーは、事故をして鼻と顎を痛める。

リサは以前の夫の事故の相手のマイケルにこう尋ねる。「なんで速く走ることにそんなにこだわるの?ただ速いというだけじゃない」と。尋ねるというより、思わず漏らした本音と言った方がいいかもしれないが。

それに対してマイケルはこう返す。「レースを走るという目的がある時は、いつだって真剣勝負だし、走っているとき以外は、ただの待ち時間なんだ」と。マイケルは真剣に生きる以外には生き方はなくて、それがすべてなんだと言っている。

これを聞いたリサは、なんだか癒されていくように思える。リサは自分の夫のレーサーを事故で失っている。その夫に対してマイケルの言葉は、夫の気持ちの代弁にもなっているし、夫への敬意の表れにもなっていると感じられるからだろう。

マイケルはつまりこう言っている。「あなたの夫は誰よりも真剣に人生に取り組んでいたし、真摯な人柄だった。そして事故の相手の僕も、そのように真剣に生きている。お互いに真剣なもの同士の戦いなんだ」と。

フランスのル・マンの郊外で開かれる、ル・マンというレースでは、田舎道とハイウェーがコースとなる国際レースで、その1周の長さは、13キロ469メートル、マイルにすると8.369マイルだ。

1つのレーシングカーに2人の運転手が交代で乗り、車の耐久性とスピードを競う。レースに事故はつきもので、事故が起こった際には、黄色い旗と黄色いランプが振られるもしくは点灯される。当然救急車も待機している。

真剣に生きる。この言葉を現わしているかのように、カー・レースの世界は命がけだ。少しのすきを見せればそれは即大きな事故につながる。そのレースの世界で真剣に生きる人間たちの生きざまをこの映画は見せてくれる。

マイケルはポルシェの監督の命令で、チームの勝利のために、自らのプライドを傷つける。仲間のポルシェのレーサーを勝たせるために、フェラーリの車に対してラフ・プレーをする。トップを走るポルシェの車を勝たせるために、自分の車をフェラーリにあてる。

真剣に走る人間が、仲間のためにラフ・プレーをする。それは、チームの仲間の気分の高揚のためだ。もしかしたら、そのチームの仲間はその栄光で一生安泰なのかもしれない。だが真剣に走るレーサーは、チームのために自身のプライドを傷つける。

しかしそれは、自身のプライドを傷つけてまで事故を起こしているレーサーの態度への一つの答えにそれはなっている。自らの人生を真剣に生きるという意味には、自らの人生を充実させてくれる仲間のために生きることでもあるのだ。そしてその時、勝つということは、少し苦いものなのだ。