男の正体

映画「ザ・フライ 特別編(原題:The Fly)」を観た。

この映画は1986年のアメリカ映画で、映画のジャンルはホラー・リメイクだ。

この映画はデヴィッド・クローネンバーグ監督による、1958年に公開されたホラー映画「ハエ男の恐怖(原題:The Fly)」のリメイク版だ。そして、この映画は、このザ・フライまでにクローネンバーグが撮ってきた映画「デビット・クローネンバーグのシーバーズ(原題:Shivers)」1975年、「ザ・ブルード/怒りのメタファー(原題:The Brood)」1979年、「ヴィデオドローム(原題:Videodrome)」1983年、「デッドゾーン(原題:The Dead Zone)」1983年、のボディ・ホラーと呼ばれるジャンルの要約にあたると言われている。

この映画の主人公は、セス・ブランドルという科学者と、ジャーナリストの女性ヴェロニカ・クワイフだ。また、その2人に関係してくるヴェロニカの元カレのステイシス・ボランズもいる。基本的に、この映画の登場人物はこの3人だ。

セスは、ノーベル賞候補になった科学者。ヴェロニカは、付き合ってきた男性の社会的影響力を利用して自らのキャリアを築いていこうとするジャーナリスト。元カレのステイシスは、ヴェロニカを大学で教え、就職の支援をして、ヴェロニカをジャーナリストに育て上げた男だ。

女性がキャリアを築くには、男性の地位と権力にすがるしかないというのが、この映画の中の女性像であり、それは今日の世界の中でも、まだあてはまることだ。ヴェロニカは、地位と名声と権力を築くための数少ない自分にできる方法を選択している。これが、家父長制の社会の女性の生き方だ。

つまり、この映画は、この映画が作られた当時のように、そして今の現実の世界のように、男尊女卑の古い習慣が残り、いわゆる女性差別が残っている社会の話だ。ヴェロニカがセックスによって男をコントロールして、立身出世をしていくのは、男女差別のため女性に選択肢が少ないためだ。

この映画の主要な部分は、セスが作り出したテレポッドでセス自身が変身することにある。セスのテレポッドは、セスの劣等感の現れだ。セスはインテリだが、内向的な性格だ。つまり友達も少なく、女性にもてるわけでもない。いわゆる、なよなよした男だ。

そのなよなよした男が、テレポッドを使って、男性性のあふれた、筋肉質の男に生まれかわる。テレポッドで使われる技術とは、「スター・トレック」に出てくるようなワープ、つまりこの映画では転送と表現されている、技術だ。

機器Aから機器Bまで物体を転送するというのが、テレポッドの当初の形だ。そして最終的にテレポッドは、機器Aと機器Bに入れた物体を機器Cに転送して、機器Aの物体と機器Bの物体を、機器Cで融合させるという形に発展する。

テレポッドは、セスの研究課題だ。なぜセスがテレポッドを作っているのか? それは単純だ。それは、地位と名声とお金と、それに付随して寄ってくる性的対象である女性のためだ。これは、セスだけでなく多くの男性にもあてはまることだ。男は、性的対象を求める。

テレポット自体が、セスの野望の象徴であり、そのテレポッドがセスの夢を叶えてくれる。その夢とはテレポット機器自体の完成であると同時に、ヴェロニカの注意を自分に惹きつけることだ。

つまりテレポッドは、セスの願望の象徴的な現れだ。セスは、テレポッドによってヴェロニカの心と肉体を手中に収める。そして、その後にセスは、自身の非男性的な欠点を補うために自身もテレポッドに入る。

自身にヴェロニカを与えてくれたテレポッドと同化するように、セスは自身をテレポッドで転送する。その時は、セスには融合という考えはない。ただ、ヴェロニカが元カレに会っていることを知りその嫉妬で、強固な男性性を求める焦燥感に駆られて自信をテレポッドで転送する。

嫉妬は映画では、ハエとして現れている。地位、名声、お金、性的対象。これらと常に一緒にあるのは、自分の欲しいものを既に持っている者に対する嫉妬だ。そしてこのハエ=嫉妬がセスの人生をさらに狂わせていくことになる。

ハエ=嫉妬は、セスの体を男性性に溢れたものにする。体は筋肉質になり、性欲も増えて、食欲も増す。しかし、その変身は一時的な美しさをもたらすが、肉体と精神は徐々に崩壊に向かっていく。名声と地位と金と性欲が、セスを滅ぼし出す。つまり、名声と地位と金と性欲が満ちている者へのセスの嫉妬が、セスを崩壊へ導く。

この肉体が朽ちていく過程が、一連のクロ―ネンバーグのボディー・ホラーと要約される映画の中で見られる、グロテスクな特殊メイクによるものだ。でこぼこの皮膚。突き出した目。めくれた唇。剥がれ落ちる耳や爪。それはどこかしら、Rupa Marya&Raj Patelによる著書「Inflamed」の中に出てくる、実際の病気で肉体が崩壊してく患者を思い出させる。

変身の過程を、当初セスは喜んでいる。本当の自分になれると。しかし、それはヴェロニカにとっては耐えられるものではない。特に、セスの子供を妊娠しているヴェロニカには。ヴェロニカは、映画「ローズマリーの赤ちゃん」の主人公のように自分の子供の誕生に強い不安を覚える。

ヴェロニカにとってはセスの変身は当初は、今までとは違う男らしいセスに変わった、むしろ喜ばしい変化だ。しかし、その変化は段々忌まわしいものになっていく。セスは、「これは自分自身を取り戻して行く過程だ」と嬉々としている。

しかし、その過程はヴェロニカにとって悪夢に変わっていく。男性が女性にアプローチするのは、表面上のみてくれやカッコよさだったりする。女性は男性が粋がっているのを、自分に対する正当な男性の態度、男性の努力、男性の自分に対する評価として受け入れる。私にふさわしい男になろうとしていると。

しかし、付き合うにつれて男性性は男性の女性に好ましくない、しかも人間的にも好ましくない正体を明かすようになる。それがこの映画では、セスの変身という形で現れてくる。つまり、セスのハエとの合体による変身は、そのまま男女間の付き合いの進行で、男性性を獲得していく男の姿を現わしている。この映画「ザ・フライ」は男女の付き合いの過程の話と言える。

セスは、こう言う。「人間としての僕は夢で、昆虫として僕は目覚める」と。これは映画「コッポラの胡蝶の夢」を思わせるセリフだ。

男性は今の自分ではない、もっと女性に好かれる自分を求めているともいえる。そのために過去を夢として否定して、変身してく自分を理想に近づいていると認識することもある。

ただ、そこで”変身を望むありのままの自分”が示されると、女性はそれに怖気ついてしまうものなのかもしれない。なぜなら、変身を望む男は、自分を愛することができていないからだ。自分を愛することができなければ、人は他人を愛することができない。

”変身を望むありのままの自分”とは、「今の自分が嫌いだ」と言っているようなものかもしれない。人に変化は、必要だ。だたそこに適度な自己肯定感がなければ、過剰な変身への願望は相手に不安を与えるだけなのかもしれない。