自由と解放

映画「荒馬と女(原題:The Misfits)」を観た。

この映画は1961年のアメリカ映画で、映画のジャンルはドラマ・ロマンス・ウェスタン映画だ。

この映画の登場人物は、イザベル・スティアーズ、ロズリン、キドー、ゲイ、パース・ハラウンドだ。

この映画の舞台は、最初ネバダ州のリノから始まる。リノは、容易な離婚手続き、賭博場、飛行機レースで有名だ。この映画では、リノで有名なそのどれもが登場する。

ロズリンは、夫テーバー氏と離婚するためにリノに来ている。ロズリンが離婚手続きのために、裁判所行こうとしている時、ロズリンはロズリンの車の修理をしに来た、キドーと出会う。キドーは、第二次大戦だと思われる戦争に参加した、飛行機のパイロットで、飛行機レースで有名なリノでも、飛行機に乗って、マスタングを追いかけている。

マスタングとは、「北アメリカ、テキサス州からメキシコにかけての平原にすむ半野生馬。肩高1.5メートル内外。家畜場が再び野生化したもの。ムスタング」ともいう。このマスタング、映画のタイトルからとれば“荒馬”が、この映画にとって象徴的なものとして、この映画では描かれる。

ロズリンは容姿端麗な美人で、キドーはすぐにロズリンを好きになる。そして、なぜだか友達のゲイにロズリンの存在を教える。途中映画はロードムービーになるが、その途中でパース・ハラウンドという若いカウボーイとロズリンとギトーとゲイの一行は行動を共にする。

ロズリンは、最初ギトーを振り、ゲイとくっつく。そして、その後パースをロズリンは好きになる。これは、いわゆるヴィクトリアン・モラルというものだ。婚前は多交渉で、結婚した後は一途な女性になるというものだ。

映画のセリフ中にみられるように、ロズリンは結婚後は旦那一筋という見解の持ち主だ。ただ、婚前は、男の間を自由に渡っていく。この映画では、自由とか、解放とかいう言葉が出てくるが、この場合不自由とは結婚のことを指している。

結婚は不自由だが、結婚後は夫のために一途でなければならない。それがロズリンの思考であり、ヴィクトリアン・モラルの王道だ。それは、婚外子による、男性の財産分与の分割をなくすための、男性のためのルールに過ぎない。

その自由とか解放が、この映画の邦題のタイトルにある“荒馬”つまりマスタングと関係してくる。その関係を説明する前に、この映画の原題がThe Misfitsであることを示したい。

Misfitとは、うまく順応しない人とか、不適任者をさす。つまり、この映画の登場人物の状況から考えれば、misfitとは、社会不適応者、社会の正当なあり方から脱落してしまった人、社会から置き去りにされている人のことだ。

ロズリンは離婚をしている。ギトーは妻を失い、職を転々としている。ゲイとパースは、時代遅れのカウボーイだ。イザベルも離婚を経験していて、今は一人の身だ。この映画の登場人物は、時代の主流から外れてしまった人物たちだ。

1961年には、まだ離婚は社会的な不適応を表すものだった。イザベルは、元夫が、別の人と一緒にいるのを見て、感動するというシーンがある。別れてもまだ夫が好き。それは、あまりに男性に都合がいい女性の在り方だ。ここに、女性の立場の弱さがうかがい知れる。

Misfitとは不適合者と書いた。そして、misfitこそは自由で開放された存在だとも一見見えるねと、この映画では言っている。実はmisfitは、自由な存在でもなんでもないのだが。

自由と解放を望んでいるのが、ロズリンという女性だ。カウボーイは、マスタングを狩って、その肉を、ドッグ・フードの材料にする業者に売って、生計をたてている。マスタングは、この場合自由の象徴だ。

マスタングを狩るために、縄で縛り、殺すのは、自由や解放を殺すことに等しい。そのことを知り、それに反抗するのがロズリンという女性だ。ロズリンは、結婚という束縛により自由と解放を奪われる自分自身と、犬の餌になるために捕らえられ、殺されるマスタングの姿を重ねている。

ロズリンは、マスタングが捕らえられるのに、できる限り抵抗する。マスタング狩りは、若者のパースとは一世代違う人たちの古い稼ぎの方法であるため、パースはロズリンの手助けをすることになる。

捕らえられたマスタングの縄をひとつひとつ切り解いていく様子は、この映画の中でもとても印象的なシーンだ。それは、拘束、つまりヴィクトリアン・モラル的な結婚という拘束からの解放を示している。そしてそれが、ロズリンが望む解放の在り方だ。

社会からの外れ者たちが、新しいコミュニティの在り方を模索してく。その様子が、マスタング狩りというものに、映し出されて、マスタング狩りが、その象徴として描かれているのがこの映画だ。

ヴィクトリアン・モラルは、結婚後の貞節と、安定した収入により完成する。そのレールから外れてしまったのが、この映画に登場するmisfitsたちだ。彼らが、社会的規範にのっとったルールから外れた、いわば新しい形を模索してくと言うのがこの映画だ。

この映画のラストでは、自由と解放を強く意識することのできるシーンが登場する。その自由と解放とは、黒人の自由と解放だ。それは、映画のラストのロズリンとゲイとの会話の中に登場する。

2人は荒野に車を走らせて、あの目立って光る星の方に向かっていけば自由があるという。それはきっと北極星のことであるとも考えることができる。北極星に向かって逃げたのは、アメリカの奴隷黒人たちだった。

奴隷黒人は、自由の地カナダを目指して、昼間は教会の地下などに身を隠して、夜になると北極星を目指して、北へ北へ逃げて行った。アメリカの残酷な奴隷制度から逃れるために。その逃亡の道筋は、アンダーグランド・レイルロードと呼ばれた。日本語にすると、地下鉄道のことだ。

2021年のドラマ「地下鉄道~自由への旅路~」のタイトルには、その地下鉄道が取り上げられている。そして映画の中では、風刺的に、実際に地下に鉄道が走っている様子が描かれている。

この映画「荒馬と女」の中にも、黒人が登場する。行きかう人ごみの中で、ただ一人不動で動かずに立っている老人の長身の黒人男性だ。彼は盲目なのだろうか? なんのためにそこに立っているのだろうか?

この映画は、結婚からの自由、もしくは新しい男女の在り方、そして実は暗に、黒人奴隷の存在を示している。黒人の公民権運動が起こったのが1950年代から1960年代だ。そして、最近でもBlack Lives Matterが取り上げられている。

自由と解放への希求は、今なお続いている。