食人植物の欲望は、人間の欲望

映画「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(原題:Little Shop of Horrors)」を観た。

この映画は1986年のアメリカ映画で、映画のジャンルはSF・ファンタジー・ミュージカル・ドラマ映画だ。

この映画の主人公は、シーモアという若者だ。シーモアは、貧民街(スキッド・ロウ)にあるマシュニクという花屋の店主の経営する花屋の地下に、住み込みで働いている。シーモアの夢は貧民街から脱出することだ。

シーモアと同じように貧民街から脱出することを夢にしているのは、貧民街に住む人々すべてだが、シーモアと同じ花屋に勤めるオードリーもそのうちの一人だ。シーモアとオードリーはその点で共通しているし、2人は互いに好きなのを表に現わさない。

なぜ、シーモアとオードリーが自分の気持ちに素直になれないのか?それは、2人の生まれて育った環境である貧民街にある。貧民街に育った人は、教養もなく、当然お金もなく、社会参加する機会を奪われている。

しかし、貧民街に住む人も人間だ。人並みの欲望を持っている。そしてその欲望が、この映画の重要なポイントになる。

シーモアはある皆既日食の日に、中国系の人が経営をする花屋で、宇宙から降ってきた植物の苗を買う。1ドル95セントで。シーモアは珍しい植物を買うのが趣味で、その買い物際に急に皆既日食になり、シーモアはその植物を買った。

シーモアはその植物にオードリーⅡと名付けて、お店に展示することになる。そしてその展示を見たくて人が押し寄せて、シーモアとオードリーが勤めるマシュニクの花屋は繁盛する。しかし、その植物には秘密があった。

オードリーⅡは、人間の生き血や、人間の肉体を食べて育つ、食人植物だったからだ。シーモアは、最初自分の血を与えてオードリーⅡを養っている。しかし、ある時オードリーⅡは、シーモアに「もっと血が欲しい」と強くせがむ。

植物好きで友達がいないシーモアは、食人植物のいうことを無視できない。食人植物はオードリーのサディストの彼氏オリンを、食いたいという。オリンは歯科医で、人が痛がるのが好きな、暴力を振る、映画「乱暴者(あばれもの)」の登場人物のようにバイクに乗る、エルヴィス・プレスリーに似た人物だ。

オリンは、オードリーを奴隷のように扱い、精神的にも肉体的にも、オリンはオードリーを服従させている。オリンが、オードリーに暴力をふるうのは日常茶飯事だ。

オードリーは、オリンの暴力を責めない。「私が暴力を受けなければ、オリンはもっと暴力をふるうに違いない。だから今の暴力で我慢するの」。オードリーは、貧民街で生まれ育った精神も肉体も、自尊心の喪失により貶めてしまった人物だ。

シーモアは、オリンを殺害しに行くと。オリンはほぼ勝手に、歯科医の使う麻酔を吸いすぎて死んでしまう。その時、シーモアに、オードリーに対する暴力について責め立てられると、オリンはこう言って死んでいく。「それって誰だ?どの彼女だ」と。

シーモアは、オリンを食人植物のオードリーⅡが薦めるように、斧で切り刻んで、オードリーⅡに与える。その斧でシーモアが、オリンをバラバラにする姿を、マシュニクが目撃をする。

マシュニクはシーモアに「殺人をばらされたくなかったら、俺にオードリーⅡの育て方を教えろ。そしたらお前は遠くに逃げていい」と言う。マシュニクはオードリーⅡが金になると知って、欲に目がくらんでいる。

マシュニクは、その際にオードリーⅡにガブリと食べられる。強欲なマシュニクは死んだ。暴力男のオリンが死んだように。オードリーⅡは食欲の塊だ。そしてそれは人間の欲望の現前した姿のようでもある。

オードリーⅡが成長をすると、シーモアは夢を段階的に果たしていくことができる。そして夢の階段を上るたびに、オードリーⅡは、お腹を空かせる。オードリーⅡが人間を食べると、オードリーⅡが成長して人目を引き付けシーモアが有名になる。その繰り返しだ。

つまり、オードリーⅡの食欲とは、シーモアの欲望だ。シーモアの欲望とはお金持ちになって、貧民街から抜け出すことだ。有名になって、人から尊敬されて、お金を十分に手に入れる。それがシーモアの欲望だ。

シーモアだけでなくオードリーも、オードリーⅡによって自分が今の生活から抜け出せることを願っている。大金を手に入れて。しかし、シーモアもオードリーも、オードリーⅡの危険性に気付くことになる。

人間を食べる植物は危険だ。その気づきは、シーモアとオードリー自身の欲望への反省へもつながる。人道に反することをしてまで、お金を儲けるのは正しいことじゃない。シーモアとオードリーはそう気づく。

オードリーⅡは、人間の欲望の現れであると同時に、自然環境を破壊する白人社会へのエコな反乱とも言うことができるかもしれない。白人のリッチな金持ちたちは、アマゾンを開発して自然を壊して、単作作物のアグリカルチャーを行い、反対する現地民は殺し、雇った人は低価格で働かせる。単作作物しか育てる場所がなくなった現地民は、日々の食糧の確保に困る。農業の工業化により利益を得ようとする、リッチな人たちの害悪だ。

オードリーⅡは、歯科医や、繁盛した花屋、を食べる、ちょっとリッチな人を食べる食人植物だ。オードリーⅡの野望は、すべての人間の住む場所に、自分たち種が住むことだ。人間を食べるために。

人間の欲望がアマゾンを破壊しつくしてしまう可能性があるように、食人植物の欲望が人間を食い尽くしてしまう恐れがあるのではないか? という疑問もわくが、それは人間と食人植物の愚かさが似ていることも示しているのかもしれない。

人間の欲望の現出としてのオードリーⅡ。地球に対して実は“エコ”な食人植物の存在。人間の欲望をシーモアもオードリーも持っている。しかしそれは無思考な欲望だ。十分な考慮の末の欲望ではない。

シーモアもオードリーも自信を失って、自分の頭で考える時間も余裕もない。欲望に身を任せているのが最初のシーモアとオードリーの在り方だ。

オードリーの言葉に印象的なものがある。「シーモアは他の男たちと違って、恩を売りも、命令もしない」。オードリーは、男の卑怯さを言い当てている。自分の立場が優位なことを知って、女に恩着せがましい男。自分の立場を利用して命令する男。リッチな人たちの奴隷である男は、女性を奴隷にして自尊心を保つ。そこからシーモアが脱し続けていることを願わずにはいられない。