荒れ果てた社会で生きる

映画「RAW 少女のめざめ(原題:Grave)」を観た。

この映画は2016年のフランス・ベルギー合作映画で、食人を比喩として人間のありかたを描くホラー・バイオレンス映画だ。原題あるgraveとは英語では墓を意味するし、フランス語では深刻という意味だ。フランス語の意味の方がこの映画にはしっくりくるかもしれない。

映画の主人公はジュスティーヌという女性だ。ジュスティーヌの両親は獣医学部出身だ。ジュスティーヌも両親の通った学校に入学することになる。日本で言うならば大学入学といったところだろうか?

その時期の人間は、通過儀礼を通じて大人へとめざめていく時だ。ジュスティーヌもその例外ではなく、それまで両親に保護されていた状態から、その保護から脱する時なのだ。

親からすべて与えられていた状態からの脱出。それがジュスティーヌの生きている時期だ。

ジュスティーヌには姉がいる。姉の名前はアレックスで、ジュスティーヌのような女性ではなく、大人びた簡単に言えば乱雑な女性だ。

アレックスはジュスティーヌと同じ学校に通っている、すでに通過儀礼を受けた女性だ。

この獣医学部通過儀礼は数カ月間にわたるものだ。その間にこの学校に入学した生徒たちは、大人への成長を遂げる。大人への成長というのはどういったことか?それは、性悪的な人間たちの間でもたくましく生きていく方法を見つけるといったことなのだろう。

この世の多くの人たちは自分を育ててきた両親のように性善ではないし、また両親が性悪であった場合でもそこから抜け出して生きて行けるようなたくましさを身に着けることが成長なのだ。

この世の人間は性善か性悪かは議論の分かれるところなのだろう。しかし多くの人は他人を殺すほど性悪ではないはずだ。この世の人口と世界の死者の数を比べれば、死者の数よりも、人口の方が多いはずだ。

人は他人をすべて殺しつくすほど悪ではない。しかしこうも言えるかもしれない。この世界の人々は生かさず殺さずで生かされ続けている多くの弱者から成り立っているのかもしれない。

この考えには、少数の支配者が多数の人々を服従させているという図式がある。何のために支配するのか?それは自らの生活の安楽のためだ。長く健やかに威張って生きること。それが少数の支配者の欲望だ。

支配する人間に迎合するまともな人たち。その人たちがマイノリティを作り出し、マイノリティを抑圧する。主人公のジュスティーヌの一家もそのための犠牲者であるのだろう。