連載 アナーキー 第29回

国家に対立する言葉としてアナキズムがある。本論でも繰り返し述べてきた言葉。それがアナキズムだ。アナキズムは国家の存在を否定する。国家でなく連合がそれに代わるべきだと考える。そしてその連合を作り出すのが相互扶助である。

相互扶助は人間の性善性に支えられている。相互扶助が成立すれば従来型の経済など存在しなくていい。すべての人はすべての人に分け与えることができる。

アナキズムは確かに国家に対立する考え方である。それは時として国家に対して攻撃的な態度をとる。セックス・ピストルズやオキュパイ・ウォールストリートの活動などがその例である。

攻撃的という言葉を使ったが、この攻撃性はすべてが暴力に結びつくわけではない。ここ最近のアナキズム的な運動というのは基本的に非暴力的に行われている。少なくとも世間的に知られている運動は。

暴力的なアナキズムというイメージがある。反政府勢力はアナキスト的な立ち位置にいるのだろうか?反政府武装組織とアナキストを同一視してもいいのだろうか?

例えばタリバンやIS(イスラム国)という勢力は反政府的である。特にアメリカ政府に対して対抗的である。彼らは武力を持って暴力を振るう。彼らは兵士である。

アナキストは兵士か?否、アナキストは兵士ではない。アナキストは武力を好まない。アナキストに必要なのは武器ではない。アナキストに必要なのはアティテュード(態度)である。

アナキストは自らの信念に従い、非暴力的な態度で国家に対立する。

現在のアナキストは、国家権力の暴力装置である警察等に対して、非暴力でいかに効果的に対抗するかを考えてもいる。非暴力から脱線する時には、アナキストたちは時として物を壊すことがある。デモ等の運動にはマスクと黒いパーカーを着た集団というものが存在する。もちろん彼らは運動の一部であり全体ではない。その他の多くの人々は暴力に走ろうとはしない。黒いパーカーを着て物を壊す人々も、警察への対抗のみの目的である。むやみに人を傷つけるという意図をもっているわけではない [デヴィッド・グレーバー 訳/木下ちがや・江上賢一郎・原民樹, 2015]。