男性らしいゲイの誕生

映画「トム・オブ・フィンランド(原題:Tom of Finland)」を観た。

この映画は2017年のフィンランドスウェーデンデンマーク・ドイツ・アメリカ合作映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の主人公は、トウコ・ラークソネンという男性だ。この映画のタイトルの「トム・オブ・フィンランド」とは、トウコがイラストを描くときのペンネームだ。そのペンネームを使うときトウコは、当時、禁じられていた男性同士の同性愛を描く。

トウコは、第二次世界大戦に参戦した元中尉だ。第二次世界大戦時では、ゲイは隠れて行われていたが、警察の手入れが入ることはなかった。しかし、第二次世界大戦が終わった後のフィンランドやドイツなどの国では、同性愛者は見つかると警棒で殴られた。

当時の社会では同性愛を公然とすることは強く禁止されていた。ドイツには同性愛者のクラブがあったが、それは隠れて経営されており、警察の取り締まりに遭うと、動物の狩りの話をしていた、とごまかせるような合言葉を使って密かにクラブは経営されていた。

フィンランドでは公園などで、ゲイの人たちが集まってセックスやオーラル・セックスをしていたが、そこにも警察がやって来る。警察は、ゲイの人たちを社会のクズだと言って、ゲイの人たちに暴力を振っていた。

そんな中でトウコはゲイとして生きていた。第二次世界大戦中も、第二次世界大戦後も、人目を隠れて。

トウコは兵士の制服や、警察の制服に強い関心を覚えた。その関心というのは性的興奮のことだ。トウコは、ペニスが強調されたイラストや、警官の制服を着た男性のイラスト、ヌードの男性のイラストを描くようになる。世間から隠れて。

トウコには、カイヤという妹がいた。カイヤはある時、トウコとカイヤの同居人として、ヴェリ・マキネン、通称ニパというダンサーの男性を連れてくる。ルームシェアリングをすることになるこの男性は実は、第二次大戦中にトウコが関係を持ったことのある男性だった。

トウコとカイヤとヴェリの関係は続く。ヴェリは最初はカイヤのボーイフレンドとして振る舞っているが、トウコと同居するようになる。カイヤとトウコは、ライバルでもあるが良き理解者でもあった。カイヤがトウコをゲイであると警察に密告するようなことはなかった。

トウコの書いたイラストは、フィンランドの地下で出回るようになっていたが、活動の拠点を警察に押さられて、トウコとヴェリは、イラストの写真をアメリカの雑誌に送る。そしてイラストが、アメリカの雑誌の表紙を飾ることになる。

トウコのイラストの従来のゲイのイラストと違った点は、トウコのイラストはゲイのマスカリニティを強調して描いた点だ。それまでのゲイのイラストは、ゲイは弱々しく、笑いのネタとして描かれていた。

トウコのイラストのゲイは性的表現が露骨ではあるが、堂々として筋骨隆々でたくましく、堂々としていた。それは、従来のゲイの表現とは違った画期的なもので、その姿はゲイの人々の間で最初に受け入れられた。

トウコのペンネームがトムになったのは、トウコが自身の正体を隠すために、トウコ・ラークソネンのイニシャルTLをTomに変えたことからきている。そしてそのTomのペンネームを見た、アメリカの出版社がTomでは地味だと、イラストが届いた住所を見てTomからTom of Finlandに変更した。

直訳すれば、フィンランドのトムとなるが、そのペンネームをつける時に編集者はこう言う。「フィンランド人は巨根だから」と。とんでもない偏見だと思うが、その雑誌の業界とはそれが当然のこととされていたのだろう。

カイヤが映画の最後に登場するのは、トウコがカイヤにトウコの描いたそれまで秘密にしていた男性のイラストを見せた時だ。カイヤはこう言う。「家族の恥さらしだわ」と。トウコとカイヤの両親は、教師だった。その当時のフィンランドの社会的な状況から考えて、両親は性に対して保守的だったのだろう。そして世間も。

トウコはヘルシンキのアートスクールで勉強をして、広告会社のイラストレーターとして生活をしていた。カイヤもイラストを隠れて描いていたが、カイヤはイラストレーターとしてトウコのように成功することはなかった。

カイヤはトウコに、恋人を奪われて、隠れたイラストレーターとしてもカイヤはトウコに及ばなかった。それでもカイヤは、トウコの良き理解者であった。この映画の中でトウコは善人というわけではない。

トウコは第二次大戦中に兵士として、ソ連と戦っていた。そしてドイツもトウコにとっては憎しみの対象だったが、トウコはドイツ兵のジャックブーツ(長靴)が好きだった。裸の筋肉隆々の男性が、大勢のドイツ兵のジャックブーツに踏みつけられている絵をトウコは描いている。

憎しみの対象が、性的対象であること。それはこの映画の中のシーンにも描かれている。トウコは対空の将校だった。敵が落下傘で降りてくると、トウコは上からの命令通りにそれを発見して、発見した時にその落下傘の兵士を殺す。

落下傘の兵士はトウコにとっては当然憎しみの対象だ。そして落下傘の兵士はトウコにとっては同時に性欲の対象でもあった。トウコは、トウコに“刺されて”死んだ落下傘兵士の“尻”を見つめて、そして兵士の顔を特に髭をなでる。

トウコに置いてリビドーは、エロスとタナトスの形をとっていた。リビドーの標準的な性愛がエロスで、リビドーの倒錯した現れがタナトスだ。トウコはエロスとタナトスの共存した男性だった。それは、世界中の戦争を仕掛ける男たちがそうだったように。

世界中の戦争を仕掛ける男たちは、一方で性愛にふけり、子供をもうける。その一方で、兵士を使って人を殺す。戦争に参加する男たちもそうだ。性愛と殺人が両立する世界。それは、リビドーがエロスとタナトスに向けられる世界と言っていい。

トウコはアメリカで熱心なファンに迎えられる。そのファンたちは、トウコの描いたイラストと同じ格好をしている。警棒を被り、レザーの服を着て、髭を生やしている。色は全身黒だ。

トウコはその様子を怪訝な様子で眺めている。そこにトウコはアメリカの消費社会の過剰さを見たのかもしれない。そしてその過剰さを受け入れるのが、トウコがこの映画のラストにすることだ。

フィンランドの洗練された芸術的風土。そこから排除されたトウコを含むゲイの人たち。そして、ゲイに対してエイズが始まるまではオープンだったアメリカの都市部。アメリカのレーガンはゲイ差別をして、ゲイとエイズを結び付けてキャンペーンを大々的に行う。

そして、そこには当然差別されるゲイの人たちの存在がある。そして、その人たちを勇気づけるものの一つがトウコの絵なのだ。