現実に目覚める

映画「オープン・ユア・アイズ(原題・スペイン語:Abre los ojos)(英題:Open Your Eyes)」を観た。

この映画は1997年のスペイン映画で、映画のジャンルはスリラー・覚醒モノといったところだろうか。この映画は2001年にアメリカで「ヴァニラ・スカイ(原題:Vanilla Sky)」というタイトルでリメイクされている。このリメイク版では主人公をトム・クルーズが、ヒロインをスペイン版と同じペネロペ・クルズが演じている。

この映画の舞台はある都市で、その都市に住むセサールというハンサムで金持ちの25歳の青年がこの映画の主人公だ。セサールはいわゆるモテる男で、車を3台持っているようなお金持ちのプレイボーイだ。

セサールは、一人の女性では満足することのできない男性だ。ある日、一晩を共にした女性ヌリアをぞんざいに扱う。その女性の車に乗ったセサールは、ヌリアの無理心中のような車の事故に遭遇して、ヌリアは死亡して、セサールは顔に重度の怪我を負う。

セサールは事故で醜くなった顔で、ヌリアを捨てて、入れ替え不可能な捨てることのできない、ヌリアを捨てる原因となった女性ソフィアに会いに行く。顔が醜くなったことにより自信を喪失しているセサールは、ソフィアに素直に名乗ることができずソフィアに当たり散らす。

酒におぼれたセサールは、泥酔して路上で寝てしまう。その後、なぜか冷たくしたソフィアが自分を受け入れてくれ事態は一変して、今度はセサールはどうでもいい女であるヌリアと、真実の女ソフィアの幻覚に悩むことになる。

真実の女=自分が本当に愛することのできる女=ソフィアと、どうしても愛することのできない女=どうでもいい女=ヌリアの区別がつかなくなっていく。つまりそれは、女性という存在を心から愛することのできないセサール自信を現わしている。

顔の怪我が手術により回復した幻想をみているセサールは、自信満々に女性をソフィアとして愛することができる。しかし、自分の顔が事故後の醜い顔に戻ったとたん、女性をヌリアとしてみるようになる。自分を肯定できないセサールは、女性を真実の存在として愛することができない。

映画中、セサールの幻覚は進み、何が現実で何が夢かわからない状態にセサールは陥っていく。しかしそれは、実はセサールが冷凍保存中にみた夢だったのだ。セサールは、冷凍保存をしてくれるL.E.という会社と契約をしていた。

冷凍保存された人間は、未来の科学で再び生き返ることができる。その未来の科学技術では、傷ついたセサールの顔を直すこともできる。2145年の未来にセサールはL.E.のデュペルノワという男性に、今見ているのは夢だから起きるように促される。その生き返りは、夢の世界での死という形をとる。

セサールの生き返る未来には、当然ソフィアは生きていない。セサールは夢の中で現実に起こったことと、想像された夢をみている。現実は、セサールがソフィアに拒否されて泥酔して自殺した時点で終わっている。その後の続きは冷凍保存中のセサールの幻想で、2145年の未来にソフィアが生きているという保証はない。多分、ソフィアが生きているということはないだろう。なぜなら、冷凍保存は金持ちだけが受けられる処置だったのだから。

ソフィアのいない未来に、企業のイメージがセサールに現実を生きるように促す。最愛の人がいない未来でセサールは蘇るのか? その現実とは、企業に支配された現実なのだろう。それは、過去も未来も同じことだ。セサールは、現実となった未来を企業の支配下で生きるのだろうか? セサールは、セサールを夢から起こした企業の人物の支配下で生きることになるのか? その未来がもしあるのならば、それはこの映画の続編になるのだろう。

企業の作り出したイメージの中で生きているのは、セサールも私たちも同じことかもしれない。第3世界を搾取して、作り上げあられた現実を、安全なものに加工処理するのが、企業だ。

セサールは企業の作り出したイメージの中で、”夢の女”であるソフィアを愛した。真実の愛は、実は“夢”だった。企業が作り出したイメージの中で、それに沿ってセサールはソフィアを愛した。夢の女であるソフィアがいなくなり、セサールには、企業が作り出す虚構から抜け出す機会が与えられる。

それは、セサールが冷凍保存中に見た夢の苦悩の成果が、生かされるかどうかの分水嶺だ。夢の女がいなくなった世界で、セサールは企業の作り出すイメージ=夢から脱して、真に真実の生き方をするのか? それともまたソフィアを探すのか? それがこの映画の核心だ。

もちろん、セサールがソフィアを探すのならば、それはセサールの企業に対する敗北だろう。