選択肢の広さ

映画「海を飛ぶ夢(原題:Mar Adentro,英題:The Sea Inside)」を観た。

この映画は2004年のスペイン映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の舞台は、スペインだ。この映画の主人公は若いころに海岸の浅瀬に飛び込んで首の骨を折って、四肢麻痺患者になったラモン・サンペドロという男性だ。ラモンには兄のホセと、兄の妻マヌエラ、2人の子供のハビ、そしてラモンとホセの父親がいて、ラモンの介護をしている。

ラモンは四肢麻痺患者となっていて、自らの死を望む人間だ。ラモンには自分の体が不自由になる前の20代そこそこの自由な記憶が残っていて、その記憶の鮮烈さが今のラモンの不自由さを強調している。

ラモンは、だから過去を思い出すのが苦痛だ。スペインの社会では尊厳死は違法となり、社会的モラルに反発するものであるから、ラモンが尊厳死を宣言すると世の中の話題となり、キリスト教の偉い人もラモンを説得するという事態が起きる。しかしラモンにとって尊厳死こそ希望を見出す未来だし、過去は前述したように忘れていた喜びを思い出させる苦痛だ。

ラモンを巡る女性が存在する。一人はフリアという女性弁護士で、自らも脳血管性痴呆という病気を患っている。もう一人はロサという女性で、子供が2人いて離婚をしていてマイナーなラジオ局のDJをしている女性だ。

2人の見た目が対照的なのが印象的だ。フリアは、白人で髪が金髪だ。それに対してロサは、黒髪に黒い瞳で体に力強さを感じさせる女性だ。フリアが、病気でほっそりとした体格をしているのとは対照的だ。

フリアは、ラモンのことを愛する。愛しているがゆえにラモンが口でペンを持って書いた詩を本にして出版した際には、出版する本のサンプルと致死性のある毒薬を持ってくるとラモンに誓う。それに対してロサは、ラモンに生きて欲しいという。ロサはラモンにテレビを通じて生きる力をもらって以来、ラモンに会うたびに生きる力をもらうからというのがその理由だ。しかし愛するがゆえにロサは、最終的にラモンの死に手を貸すが。

ラモンは首を折ったことにより、性的に不能になっている。ラモンが浅瀬に飛び込むと、ラモンが浅い水面を通り抜けて地面にぶつかる映像が、時折映画の中でインサートされる。それは、まるで女性器にうまく侵入できないインポテンツの性器のようでもある。そのシーンは、ラモンの不具を現わしているかのようだ。

ラモンは性的な喜びを奪われているが、それと同時に想像力を手に入れている。邦題の「海を飛ぶ夢」というのはラモンの想像力のことを、現わしている。海がラモンの部屋の窓からは見えないが、ラモンは想像力で海まで山を越え野を越え飛んでいく。想像力が、いったんラモンをベットから切り離すように映像化される。しかし、ラモンはその想像力とは対照的にベットから離れることができない。

なぜラモンは、映画の最中、死を考えることをやめないのか? それはラモンの人生で、体が自由な時が強烈に幸福だったからだろう。映画中にラモンの不能を現わしている海の映像がインサートされることからも、ラモンが肉体的な喜びを強く知っていて、それを求めていたのが暗示される。

ラモンの家族はラモンに死んで欲しくはないと思いながら、ラモンの死への旅立ちを涙ながらに見送る。ラモンの介護が生活の中心にあった家族にとって、ラモンの不在は強烈な印象を残しただろう。

ラモンの死はラモン自身を開放して、ラモンの家族を介護から解放した。そしてスペイン人に、死への解放を示した。ラモンは、自らの死を選択するという自由を手に入れた。そしてそれには、ラモンを引き留める力も働いた。そのバランスがこの映画を観やすいものにしているのだろう。