正直に生きる

映画「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋(原題:Long Shot)」を観た。

この映画は2019年のアメリカ映画で、映画のジャンルはロマンティック・コメディだ。映画のタイトルにあるLong Shotとは、(だめもとでやってみる価値のある)試みという意味がある。

この映画の中で、ダメもとでやってみる価値のある試みというのは、例えば、主人公のフレッドと、アメリ国務長官のシャーロットの、恋愛や結婚等だ。等と書いたのは他にも価値のある試みがいくつかあるからで、そのうちの一つはシャーロットの夢だ。

シャーロットは、少女時代から一つの夢を持っている。それは、地球上の環境破壊を止めるという夢だ。シャーロットは、大統領の座を狙っている女性の国務長官だ。

この映画の見どころの一つに、シャーロットは自分の信念を曲げずに、地球に良いと思える政策を通すことができるか? というものがある。シャーロットが、環境破壊を止めるために森林伐採(?)をやめるという点について、大統領とメディアからクレームが来るシーンがある。

要は、シャーロットの政策が、リッチなクソどもの気に障ったからだ。「森林伐採をやめろ? それでどれだけ私たちが損をすると思っているんだ!!」と。

シャーロットは根っからの純情で、理想主義者のフレッドにこういわれる。「君の政策は結局骨抜きになるんだ。そんなことならば、僕は君の演説の原稿なんか書きたくない」。するとシャーロットは、ここで自分が試されていると思う。

現実を、受け入れて妥協するのか? それとも、自らが正しいと思うことを貫くのか? 信念を貫こうとするシャーロットに、メディア王が揺さぶりをかける。「お前の彼氏の自慰行為の映像が流されたくなかったら、政策を骨抜きにしろ」と。

そこで、シャーロットとフレッドは決意する。自らの姿を隠すようなことは、しない。すべてに、正直であろうと。

1つの正直さを通す行為は、同時にいくつもの正直さを必要とするというのが、この映画の教訓だろうか? シャーロットとフレッドは、正直であることにより、大衆に愛される存在となる。

大衆に嘘をついて政治を行うこともが、できるかもしれない。メディア王の力を借りて。しかし、シャーロットとフレッドは嘘を選ばなかった。

映画では、その結果としてシャーロットは大統領になることになる。大衆に好かれるということは、誰に対しても正直であるということなのだろう。この2人のように。非正直さは、人を不安にさせるだろうから。

ちなみに森林伐採は、南米で実際に行われている。南米の地では、多国籍企業の経営する農場を作るために森林を伐採している。その農地に単作の農作物の大農園が作られ、その農作物は輸出される。単作のために現地人の食べる食糧は土地からは得られず、現地の人たちは輸入された高い食糧を買うことになる。大農園は、機械で耕作をするため人手がいらず現地の農民は失業する。現地の農地は多国籍企業が買い占めて、現地の人から農地を奪っている。当然失業していては、食料を買うお金がない。そのような場合は、飢饉が人々を襲う。アメリカからの救援物資の作物は、遺伝子組み換え作物で、発がん性のある農薬がこびりついている。そして何度か収穫した後の農地は、栄養分がなくなり農耕地として使えなくなる。その土地は何もせずに放置され、ただ大農園の土地として占有されるだけだ。アグリビジネス(農業関連産業)による、モノカルチャー(単一栽培)が南米の人たちを苦しめている。その多国籍企業の本籍があるのは、ヨーロッパやアメリカだ。そして企業は、アメリカ、ヨーロッパと共に、現地の政府機関と関係している。現地の政府は、多国籍企業の言いなりだ。シャーロットが森林伐採を止めろ、と訴えた背景にはこのような事実があることを忘れてはならない。シャーロットは、巨悪である巨大多国籍企業と闘っている。(文章には”南米の”とあるが、以上は南米やアフリカに当てはまるような事実だ。現在ではこのような状況よりは、改善されていると聞く。本当だろうか? しかしならば、現地の人たちがなぜ立ち上がったのだろう。)