金が仕事で手に入らない立場である女性

映画「太陽はひとりぼっち(題:イタリア語:L’eclisse/英語:The Eclipse)」を観た。

この映画は1962年のイタリア・フランス合作映画で、映画のジャンルは恋愛・ドラマ映画だ。

この映画の主人公は、ヴィットリアという女性だ。ヴィットリアは若く、付き合っていた男性や、言い寄って来る男性は金持ちだが、実はヴィットリアは金が嫌いな女性だ。

ヴィットリアの母は、株の売り買いで生活を成り立たせている女性だ。ある時(映画の中盤あたりだが)、株価が暴落するという事件が起こる。ヨーロッパの株が暴落するのだ。

ヴィットリアの母は、株の暴落に激怒し落胆する。ヴィットリアの母は、株の暴落は政府の陰謀だとか、共産主義者のせいだとか言い立てて、株式市場で右往左往している。ヴィットリアの母は株を売り買いしている出資者で、その実際の運用は証券会社が行っている。

その証券会社に勤めている男が、ヴィットリアに言い寄って来る男ピエロだ。ピエロは、自信満々で、女性に対して高慢な態度で、要は顔はいいが、性格は最低な男だ。

ヴィットリアは金持ちが嫌いだ。だが、ヴィットリアは金持ちと付き合う。なぜか?それは以前のヴィットリアが母と似ていたからであり、ヴィットリアの母が金持ちを好むからだ。

ヴィットリアはリカルドという男と付き合っているが、映画の冒頭でいきなり別れ話をしている。理由は、ヴィットリアはお金持ちの高慢な態度に耐えられないからだ。

すべてを自分の思い通りに進めようとする金持ちの態度がヴィットリアは嫌いなのだ。

お金持ちの高慢な態度を示す例が、ピエロとその振られる恋人の間の関係でわかる。ピエロの勤め先の証券会社の入っているビルの下に女性がやってきたと、ピエロは会社を後にする。

ピエロはその女性に対して言う。「また髪を染めたのか?」「これは私の地毛よ」「前は金髪だったじゃないか」「あれは染めていたの」「金髪の方がよかった」。ピエロは女性に表面上は優しくするが、実は冷淡で冷たい。

路上で生地を売っている路上の商売人が映画に登場する。ヴィットリアはその男性に優しく声をかける。笑顔で。その路上の男性は明らかに、ピエロとは違って、育ちの良いボンボンではない。ヴィットリアは、ピエロに購入を促すが、ヴィットリアの要求をピエロは軽くあしらう。「それ持ってるからいらない」と。

ヴィットリアがリカルドと付き合ったのは、昔はヴィットリアは、ヴィットリアの母と同じように、金持ちが好きだったからだ。しかし、何年もリカルドと付き合ううちに、金持ちの横柄な態度に嫌気がさしてきたのだろう。「昔の私はあなたのことが好きだった」と、リカルドに対してヴィットリアは言う。

そして、ヴィットリアはなぜピエロに対して、拒絶の意向を現わしながら、リカルドの要求に時折答えるのか?それは簡単だ。ピエロはヴィットリアの母の利用している証券会社の人間だからだ。ヴィットリアは母のために、ピエロの要求を呑んでいるのだ。

映画のラスト、2人の待合の場所が映し出される。しかし、そこにヴィットリアの姿はない。ピエロの姿も。ヴィットリアは、金持ちの高慢さに見切りをつけたのかもしれない。ピエロは相変わらず女性に対して横柄なのだろう。ヴィットリアが金に関係なく、交際相手を選択できる日は、やってくるのだろうか?