収入の機会を奪われても、それでも自己実現すること

映画「ミモザ館(原題:Pension Mimosas)」を観た。

この映画は1935年のフランス映画で、映画のジャンルは恋愛映画だ。

この映画の主要な登場人物は、ルイーズとガストンの夫婦と、その養子のピエール・ブラバンそしてピエールの恋人のネリーだ。ルイーズとガストンの夫婦はホテルを経営していてそのホテルの名をミモザ館という。

この映画の主要なテーマと思われるものは、お金と愛だ。ピエールはルイーズとガストンの夫婦同様にお金に強く惹かれている。そしてピエール以上にお金に惹かれているのはネリーだ。

ネリーはピエールと付き合う前は、ニエルという賭博場のロマーニというボスと付き合っていた。ネリーは賭博のボスと付き合っていてお金には不自由していなかった。そしてその後に付き合ったのがピエールだ。

ピエールは車のセールスをして生活を成り立たせているセールスマンだ。そんなピエールにはネリーを満足させるだけのお金がない。だからピエールは賭博に通い、その資金をルイーズとガストンにねだる。

ピエールが映画中お金を欲しがるのはすべてネリーのためだ。そしてネリーはこう主張する女性だ。「私は自立した女性になりたい。誰にも支配されたくないの」と。つまりネリーは自立が一番で、男はその次の女性だ。

そのネリーにピエールが求めているのは愛情だ。ピエールはその当時の男性の価値観を持って要る。つまり女性は一人の男に尽くすべきだという価値観だ。しかし、自立心の強いネリーに対してそれを無理強いすればネリーはピエールの元を離れていくだろう。

そんなピエールの姿を見ているのはルイーズだ。とにかくネリーはお金のかかる女性だ。彼女の欲しいものを欲しいまま買っていたら、このままではピエールにお金をねだられるルイーズの生活もままならなくなる。

生活するのにはお金がかかる。ネリーにお金を捻出する能力はない。ネリーは男性社会から拒絶されている女性の姿そのものなのかもしれない。就職という機会からはじかれて、ただ男性からの視線を気にする女性。そんな女性像。

結局女性の浪費を生み出しているのは男性だ。女性にとって自由になるのは浮気と買い物だけ。それが男性から搾取されている多くの女性の自由だ。男性のように社会的地位は職場にはない。職場にあるのは性差別だ。

慎ましくて、穏やかで、愛情あふれる女性を思い描くすべての人にとってこの映画のネリーは悪女のように映るのかもしれない。しかし、それは女性にとってはただの重苦しい押し付けでしかないこともある。

ルイーズはホテルを仕切る女性だ。ホテルとはこの場合家庭で、宿泊客とはこの場合家族だ。ルイーズはこの映画では一応母の代名詞のような女性だ。しかし、ルイーズは放蕩するネリーに対して甘い。

なぜなら、ルイーズは誰にとっても理想的な母であろうとするためであり、ルイーズ自身が昔はネリーのような自立した女性になろうとしていたからだろう。

ルイーズはピエールを母のように愛して、映画のクライマックスには、ネリーの代役まで務めることになる。ピエールは実の母ではない母に依存していた。それはルイーズの子供が持てなかった強い世間から負わされた罪の意識からの愛情かもしれない。

女性に社会から与えられる役割。それは非常に締め付けのきついものだし、なかなか逃れられるものではないのかもしれない。しかし、その役割を作り出しているのは一人一人の態度や意識だ。よってそれは変革可能なものだ。