お金に豊かさをみる虚しさを知らないということ

映画「女工哀歌(読み:じょこうエレジー、原題:China Blue)」を観た。

この映画は2005年のアメリカ映画で、映画のジャンルはドキュメンタリーだ。

この映画の監督は、この映画を他の2本の映画を含んだ3部作としてとらえている。その3本の映画というのはStore WarsとChina BlueそしてBitter Seedsだ。

Store Warsというのは、アメリカのウォールマートについての映画だ。今回紹介するChina Blueという映画は、中国の工場で働く女工たちとそこを取り仕切る工場経営者ラム氏を描いた映画だ。そしてBitter Seedsという映画は、アメリカのバイオ多国籍企業であるモンサントのインドでの活動の様子を描いた映画だ。

この映画「女工哀歌(原題:China Blue)」というのは、アメリカのウォールマートの店舗に並ぶジーンズの製造をしている工場に焦点を当てた映画だ。このラム氏が経営する工場は、リーフェン縫製工場というトルコのイスタンブールジーンズ製造会社の下請けの工場だ。この流れがわかるということは、一応トレーサビリティがあるということかもしれない。

そこでは女性労働者たちを雇って、時給6セント(日本円にして7円)で働かせている。朝8時から夜中の2時まで、彼女たちは働く。注文数が多く、納期に間に合わせるために徹夜をして働くこともしばしばだ。ちなみに労働者には、男性より女性の方が多い。

工場経営者のラム氏の考えは、こうだ。女性は、従順でおとなしいから文句を言わないので労働者として扱いやすい。ラム氏は、こうも言う。「工場に出稼ぎに来る労働者は農民だ。農民は学がなくいつもルール違反する。だから私が規律を教えなければならない。農民は考え方が20年遅れている。」と。

ラム氏は農業をしていて、その後、鄧小平の改革により農民から出世できた。世の中のおかげで警察になり、警察を退職して工場経営者になった人物だ。ラム氏は、自分が農業従事者であったことを忘れているか恥じているようだ。「農民は20年考え方が遅れている」これはラム氏の言葉だ。ラム氏には農民への尊敬が、欠けている。ラム氏は、金が儲かれば自分は豊かになると考えている拝金主義者だ。

この映画は、ジャスミンとリー・ピンそしてオーキッドという少女を中心として描かれる。彼女たちの親たちの価値観は、経済的に豊かになることだ。オーキッドは工場で働いて3年になる。大学の進学を諦めて、工場に手稼ぎに来ている。オーキッドの兄は大学に進学した。オーキッドは女性だから、大学に行けなかったのだ。

オーキッドが男性を実家に正月に連れて行くと、家族は彼をあまり歓迎した様子をみせない。なぜなら、オーキッドの彼氏は貧しい家の生まれだからだ。ラム氏と同様にオーキッドの両親も、金のことを考えている。

中国では、経済的豊かさを多くの人が求めている。ジャスミンもオーキッドと同じように、農家の出身だ。家にはアヒル、ヤギ、ウサギがいて段々畑があり、小麦や雑穀、トウモロコシを作っている。これが、中国南部の四川省のその当時の様子だ。農民は、街の工場で働ければ金持ちになれると思っている。それを利用しているのが、ラム氏のような工場経営者だ。

ラム氏は、自分が神だと思っている。神が、劣った農民に教育するのだ。自分も農民だったはずなのに。工場は、監視カメラで工員たちの動きを観察できるようになっている。農民だった人間が、農民を疑う。そこには、さもしい人間性しか見えない。そのような工場の労働とは、人間性とは程遠い。

工員たちは寮で、給料から引かれる食事代で食事をとる。食事をする場所はなく、あるのは調理場だけだ。食事は自室でとる。香辛料が少ない広東省の食事は、ジャスミンの口には合わない。しかしそれを食べるしかない。

ある時ジャスミンは、食事を腹痛でとれなくなる。残業続きで先輩たちの厳しい監視がある職場でのストレスが原因だと、暗にこの映画では示されているようだ。寝る時間がなくて眠いのに、仕事中寝ると先輩たちがジャスミンの座っている後ろに立って、ジャスミンが仕事をさぼらないように監視する。ジャスミンには、これが非常にプレッシャーだ。そしてその先輩たちは、ラム氏に脅されている。ラム氏が、ラム氏より上の段階の会社に脅されているように。

ジャスミンが一時間働いたお金で買えるのは、お茶一杯だ。そのような状況に、従業員たちはストを起こす。が、工員の女性たちが主なストは、男性の脅しに屈してしまう。そう、女性は従順でおとなしいのだ。

工場経営者も、農家の家族も、お金を求める。その姿はさもしく、女性の生きる権利を軽んじている。お金は幸福を運ばない。お金が運んでくるのは、最低限の生活だけだ。そして最低限の生活は、農民の暮らしでも得ることができる。

なぜそこまでしてお金が欲しいのか?それはきっと、プロパガンダのなせる業だろう。モデルのようなきれいな人が着る服を、皆欲しがる。それは、オーキッドもジャスミンも、そして彼女たちの過酷な労働で作られたジーンズをはく西洋人も同じことだ。

人は、映像や写真付きの広告に弱い。そのような場所では、非人道的な経営者が貧しい豊かさを手に入れるだけだ。そんな世の中は虚しくはないだろうか?