優しい視線

映画「夜の人々(原題:They Live by Night)」を観た。

この映画は1948年のアメリカ映画で、映画のジャンルはフィルム・ノワールだ。

この映画の監督は、1911年生まれで1979年に没したアメリカ人映画監督のニコラス・レイだ。ニコラス・レイ監督はジェームス・ディーン主演映画「理由なき反抗(原題:Rebel Without a Cause)」を撮った映画監督として有名だ。この作品「理由なき反抗」はオスカーにノミネートされたニコラス・レイ監督の唯一の作品だ。

映画「理由なき反抗」でニコラス・レイはジェームス・ディーンの即興の演技を取り入れた。この時44歳のニコラス・レイは、24歳の若き俳優の実力を認めていた。ニコラス・レイは若者に対して非常に理解のある監督だ。

若者への理解という点では、この映画「夜の人々」でも共通している点だ。映画「夜の人々」では、ボウイとキーチーという若い2人の男女が中心となって話が進んで行く。この映画「夜の人々」の製作当時、ニコラス・レイ監督は37歳で、ボウイの年齢が23歳に設定されている。

映画の製作には大体2年かかるという話だから、ニコラスが35歳の頃には、この「夜の人々」という映画は製作が開始されていただろう。ニコラスも35歳だったという点で、ニコラスは若者に感情移入しやすい年齢ということもあったのかもしれない。

若者への理解という点では、自らの苦労した若い時代の日々が、ニコラスの若者への共感、特に若い俳優への共感や信頼といったものに反映されているのかもしれない。

映画「夜の人々」はニコラス・レイにとって初の監督作品だったが、この映画「夜の人々」は当時アメリカでは公開されずに、イギリスで先に上映され、イギリスで高い評価を得ている。若き才能はアメリカでは、すぐには理解されなかった。

ちなみにニコラス・レイは若い頃に、建築の巨匠であるフランク・ロイド・ライドに学んだ。ニコラスはフランク・ロイド・ライドに学んだ後、CBSに雇われたり、大量の脚本の仕事をしたりしている。

また、ニコラスはその当時に既に子供を養っていた。1937年にはニコラスは子供をジョアン・エヴァンスという女性との間にもうけていた。

この事実からもわかるようにニコラスは苦労人だ。その体験が、この映画「夜の人々」にも役立っているように思われる。「夜の人々」に登場するのは、犯罪者、犯罪者の妻、そして父子家庭というものだ。

苦労人といえるニコラスの生き方が、社会的に追い詰められてしまうような人たちへの共感を含む視線を育てたのだろう。

この映画「夜の人々」は、エドワード・アンダーソンという人の小説「Thieves Like Us(直訳すると“私たちみたいな泥棒”)」が元となってできている。この小説をニコラスに教えたのはジョン・ハウスマンというニコラスの親友だ。

ニコラス・レイはジョンに、この小説の存在を教えられた時から、この小説のとりこになった。この小説にはアメリカの南部の不況に苦しむ人たちの生活が描かれている。そこには当然のように、黒人差別も登場する。黒人がつく仕事は、白人男性のトイレのキーパーだ。ニコラスは、当時、誰よりも先駆けてこの映画「夜の人々」の撮影にヘリコプターを利用したが、同時にニコラスは当時の社会の現実をも鋭くとらえている。