私は最高!!

映画「モハメド・アリ ザ・グレーテスト 1964-74(原題:Muhammad Ali, The Greatest)」を観た。

この映画は1969年のフランス映画で、映画のジャンルはドキュメンタリー伝記映画だ。

この映画の主人公は、映画のタイトルにある通りに、モハメド・アリという世界的に有名なボクシング選手だ。アリは、1960年のローマのオリンピックのボクシングのライト・ヘヴィ級でタイトルを取り、その後ヘヴィー級の世界王者に3回輝いている。

ニュー・ヨーク・タイムズの2016年の6月4日のアリの74歳での死亡を伝える記事では、アリのことを20世紀で最もカリスマがあり、論争を呼ぶスポーツ選手だったと言っている。

この映画は、そのモハメド・アリの1964年から1974年の10年間を追った映画だ。映画の製作年が、1969年となっているのは、1969年にいったんこの映画は完成していたからだろうか? その辺りは不明だ。

この映画は、2つの部分に分けることができる。前半(1964年)は、アリが世界ヘヴィ級のチャンピオンに初めて輝くとき。後半(1974年)は、ベトナム戦争の兵役拒否でタイトルを失い、ヘルニアの手術、ネイション・オブ・イスラムへの加入を経て、再び世界チャンピオンに輝くときだ。

この映画には、映画の前半と後半でキャッチフレーズがある。前半では「蝶のように舞い、蜂のように刺す」がキャッチフレーズで、後半では「アリ、ボンバイエ(やっちまえ)」がキャッチフレーズになっている。

前半と後半でアリの敵役は、別れている。前半の敵役は、ヘヴィ級のタイトルをその当時持っていたチャールズ・ソニー・リストンで、後半の敵役は、その当時ヘヴィ級のタイトルを持っていたフォアマンだ。

リストンと闘うときには、キャッチフレーズは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」で、フォアマンと闘うときのキャッチフレーズは、「ボンバイエ(やっちまえ)」だ。

また前半と後半では、アリの名前が違う。というのも、モハメド・アリというのはカシアス・クレイという名前から改名した名前だからだ。カシアス・クレイ→カシアスX→モハメド・アリというのがアリの名前の変遷だ。

黒人の名前は、奴隷主であった白人の名前から来ている場合もある。白人のアリのカシアス・クレイのスポンサーが、「クレイ(祖先)は昔は私の家族の奴隷だったに違いない」というシーンが映画にはあるが、その奴隷名からの脱却を示して知るのがモハメド・アリという名前だ。

この映画には、マルコムXが登場する。マルコムは言う。「黒人が自信を持つことを、白人は恐れている。だから自信のある黒人は、白人にとっては脅威だ」と。

この映画の前半で、カシアス・クレイは「俺は最高だ!!」「俺は美しい!!」と叫ぶ。黒人が、黒人自身のことを肯定する。その姿は最高に肯定感に満ち溢れていて、心地よいものだ。映画の前半で、何度もカシアス・クレイは叫ぶ。

カシアス・クレイは、黒人のアメリカにおける人種差別に関しても堂々と発言する。その当時といったら、黒人の活動家のマーティン・ルーサー・キング牧師やマルコムXが暗殺されていた時代だ。その時代に、黒人の人種差別について堂々と発言するというのは凄いことだし、また、しかしそれは時代の必然でもあった。

「黒人の子供が学校に行くだけでも、白人は大騒ぎして、次の日には市長まで出てくる」とカシアス・クレイは言う。当時のアメリカの緊張感が、ここから伝わってっ来る。

ちなみに、カシアス・クレイが泊っているのはモーテルだ。なぜモーテルか? それは黒人の客を歓迎しないのが、当時のホテルだったからだ。人種隔離政策は、1964年の公民権法によって法的には人種隔離は禁止された。だがしかし、カシアス・クレイはモーテルに泊まっている。

後半のアフリカのザイールのキンシャサの様子を見ると、アメリカの様子とは全く違う。アメリカのような巨大なビルが建つ都市ではないが、人々はアメリカの黒人と比べて明らかに違う。ちなみにザイールは、現在はコンゴ民主共和国なっている。

ザイールの人々は、人目を過剰に気にしない。そこには白人の姿はなく、黒人の活気に満ちた姿が映像として映し出される。そこにあるのは、アメリカにはない解放感だ。それは、アリに歓喜する人々の様子からも伝わってくる。

アメリカ人は、控えめにカシアスの勝敗ついて予想する。そこには、ザイールのような熱狂はない。アメリカの場合には、どこか控えめなのだ。まだ、カシアスが世界チャンピオンになっていない時の映像だからかもしれないが。

ベルギーから1960年に独立したコンゴ共和国は、1964年にコンゴ民主共和国となった。その後1971年に国名をザイール共和国に変更、その後1997年に国名をコンゴ共和国に戻している。当時ザイールと呼ばれた土地は、実はヨーロッパの植民地支配の下にあった。

ザイールの人たちの持つ解放感は、植民地から解放されて獲得した解放感だったのかもしれない。素晴らしい黒人のアイコンであるアリは、ザイールの人々にとっても黒人の独立の象徴だったのだろう。

アリはその発言やその実績で、世界的なスターになった。そのスターも後年、パーキンソン病にかかる。その病気の原因は、殺虫剤や化学毒物であったというアリの妻のロニーンの証言もある。

ここから連想されるのは、モンサントのような会社による環境レイシズムだ。アリの存在はいたるところで黒人の実存とつながっている。