連載 アナーキー 第26回

アナキズムは通常国家の存在を否定する考え方として知られている。

国は仲介者としての役割を果たさないとアナキズムは考えるようである。そう仲介者は別に国でなくてもいいのである。

ある土地に住む、否いるある人が仲介役を買って出れば問題ないのである。

そんなことで安全な取り引きなど成立するの?と思われるかもしれない。しかし、ちょっと待って欲しい。

「安全」とは誰が言い出した言葉なのであろうか?どこかに暴力的な人たちがいて、その人たちが公正な取り引きを妨害すると考える人もいるだろう。

しかし人は生まれながらにして暴力的な存在ではないのである。ホッブズの言うように人は生まれながらにして暴力的な存在ではないのである。ホッブズの言うように、人は万人に対して万人が対立するような状態ではない。

人は生まれながらにして性善であり、戦いなど生じない。 [レベッカ・ソルニット 訳/高月園子, 2014]すべてのものをすべての人に分け隔てなく与えることができる。つまり人は独占的な存在ではないのである。

独占的とは、誰か力の強い少数の人たちが、資源を占有してしまうという状態だ。例えば、食料を少数の人たちが支配的に所有する。そして少数の人たちは、その食料を他の多くの人たちに対して有償で与えるというようなことをするとする。これが独占的な状態である。

多くの人はこのような独占などしないというのがアナキストたちの考えである。多くの人々は性善であり、すべてのものは分け隔てなく与えられるのである。

ではすべての人々が性善ならどうして現在のような強い者が多くを持つという社会が成り立ってしまうのだろう? [町山智浩, 2014]

それは、多くの人々の中の不安が人々を動かしているからだろう。衣食住は十分に満たされるのだろうか?今ある地位はずっと維持され続けるのだろうか?名誉や名声はどうしたら失わずに済むだろうか?他にも様々な不安が存在する。

不安は人を不信へと結び付ける。将来のためのお金を維持したい。ならばここで人に与える必要はない。だったら今のうちに稼げるだけ稼いで、すべてを独り占めしまおう。このように考える人も出てくるのかもしれない。

このような独占的な欲求は何よりも不安が原因で生じている。他の人は誰も自分を助けてはくれないのではないかという不安から、人は他者を振り払って暴走するようになる。

つまり相互扶助を信じられない時に人は、独占的態度へと暴走するようになるのである。

相互扶助の精神を信じることができないという事実。これが多くの人たちを分断するのである。例えば都心に行き交う人々。これらの人々は大勢密集して住み、相互扶助には事欠きそうにないのだが、人々は無償の相互扶助に向かう様子は見せない。