連載 アナーキー 第28回

ストゥージズの活動した1960年代という時代、特にその後半はフラワー・ムーヴメントが花開いた時代である。

イギー・ポップはフラワー・ムーヴメントことを臭ったと表現しているし、後の時代になって、自分たちがしたことは何かと聞かれた時に「60年代を破壊したことだ」と述べといる。

共産主義的だったストゥージズのイギーは、同じく共産主義であったフラワー・ムーヴメントを嫌っている。俺たちの共産主義と奴らの共産主義は違う。というのがイギーの意見なのかもしれない。

17世紀にディガーズというアナキズムの源流となる集団が存在したことは前述したが、1960年代のアメリカにもディッガーズ(ディガーズとディッガーズの表記は違うが英語ではDiggersで同一の文字。ここでは1960年代のDiggersはディッガーズと表記する)という集団が存在した。 [竹林修一, 2014]

アメリカの1960年代のディッガーズは、サンフランシスコ・マイム・トループ(San Francisco Mime Troupe)という劇団から派生した集団である。

1960年10月に立ち上がったこの集団はフリー・プロジェクトを実践した。「ディッガーズは無料の炊き出しをはじめとして、その他さまざまなフリー・プロジェクトを実践した。その最たるものがフリー・フレーム・オブ・リファレンス(Free Frame of Reference)という店だった。そこにはメンバーが集めてきたさまざまな物資が置かれていて、来た人はほしいものを何でも無料で持って行ってよかった。だから「店」という言葉は適切ではないかもしれない。なぜなら店とは客が商品と貨幣とを交換する場所を意味するからである。ディッガーズは経済活動の基本である貨幣を否定するようなことを始めたのである。」 [竹林修一, 2014, ページ: 56]

1960年代のアメリカのディッガーズにも相互扶助の精神が見られる。それはジムことイギー・ポップの嫌った1960年代のヒッピー文化と重なる部分もあるだろう。なぜならあらゆる現象にはそこにその時代の刻印を見い出すことができるからである。よってストゥージズも例外ではない。 [宮台真司/石原英樹/大塚明子, 2007, ページ: 16,484]

ストゥージズの共産主義にも明らかに1960年代の時代の刻印というものが見て取ることができるのである。ストゥージズの60年代っぽい所。それはイギー(=ジム)が語る、共産主義的な部分であろう。

ヒッピーもストゥージズも時代の刻印からは逃れることができない。この場合の、時代の刻印とは共産主義的な考え方が、大衆の文化の中にも浸透していたということである。

食べ物や、服や、住居や、医療が無料な社会。それはより良い社会の姿ではないだろうか?

アナキズムは相互扶助的である。各人が各人の能力に応じて与えるものを生み出し、欲しい人が、欲しい物を誰でも与えられる。それが相互扶助的な社会の目指すべき所である。それは暴力的なものなど少しもない。すべてのものをすべての人々が分かち合うのである。