連載 アナーキー 第22回

ロックは市民政府論という本の中で、こう述べている。 [ジョン・ロック 訳/角田安正, 2013][ロケーション:3978]「自然状態に置かれていれば、そこには自然法があり、その支配が及んでいる。そこでは、だれもが自然法に服している。そして、耳を傾けさえすれば、理性(つまり自然法)の声が次のように教える。

人間皆それぞれ平等で独立した存在なのだから、何人も他人の生命や健康、自由、財産を侵害してはならない。」

ここでは“耳を傾けさえすれば”という表現に注目したい。つまりロックはこう言っているのである。人間の内には善を行う動機付けが先天的にあるのだと。

ロックとは正反対にホッブズという思想家は、人間は自然状態においては狼であるというようなことを言っている。 [小室直樹, 2010, ページ: 203]これは性悪説と呼ぶことができる。

ロックはホッブズとは真逆の考え方を持っている。人間は元来善であると。

前述したブレグマンのイギリスのホームレスだった13人についての報告は、人間の本性は性善であるということを物語っていると思われる。

グレーバーやソルニットも人は本来相互扶助的な存在であると言った。つまりアナキストたちも人間の性善を信じて疑わないのである。

ブレグマンはお金を直接人に配る政府を否定しない。アナキストたちは中央集権を嫌い、連合主義を唱える。しかし、根本では人間は善であると信じている点で同じである。ただアナキストにとっては権力が問題なのだ。

ブレグマンとアナキストの考え方をここで合わせてみたいと思う。それはこういったものだ。

人は元来性善である。つまり皆先天的に何が正しいかを知っている(アナキストの人は異論がある人もいるかもしれないが…なぜなら権力者の思う性善であることは、被権力者にとっては抑圧であり、それは不幸を生むから。しかしここで性善とは抑圧しない人たちであるということを意味する)。

人は自らが何をすれば、自らが幸せになれるか知っている。それは周囲の人を幸福にすることだ(権力者たちがこの真の意味を知って欲しいとアナキストたちは思っているだろうが…)。

周囲の人々が幸福になるように人は動くことができる。つまり人は善であるから、周囲の人を幸福にする。周囲の人々を幸福にすることができるから、その人の行いは善であるということができるのである。ブレグマンも、グレーバーも、ソルニットも、ロックも人間は元来善であると強く信じているのである。