連載 アナーキー 第27回

相互扶助の精神が信じられない場所。これよりも不幸なことがあるだろうか?人々は常に誰かに襲われるのではないかという不安を抱えている。

経済的に不幸なことよりも、この精神的に不安の方が、人間にとって大きな問題になるのではないか? [中野佳裕, 2017]

経済的に豊かになっても心に不安を抱えていればそれは不幸と同じである。

他人に貶められるのかもしれないという不安が人々を、相互扶助を欠いた状態にしている。

不安により人々は支配されている。

例えばアメリカのアナーバー出身のロック・バンドにストゥージズが存在する。1968年にアメリカのロック・バンドMC5と同時にエレクトラ社とというレコード会社とストゥージズのメンバーは契約している。 [ジム・ジャームッシュ]

契約するということはロック・バンドにとってどういうことか?それは音楽で生活することができるということである。

音楽で金を得る。それが音楽にとっての契約である。つまりストゥージズは資本主義体制の中での金銭的成功を目指したバンドだった。

ストゥージズは、1960年代末から1970年代の初期にかけてアルバムを3枚出したが、その後の再結成までストゥージズとしての音楽活動はなくなる。つまりストゥージズは不安を元にした競争社会のフィールドから脱落をするのである。

ストゥージズが商業的に成功しなかった理由はレコード会社の重役の判断ミスだったのかもしれない。商業的に成功しなくても、彼らは何とか後の人生で食いつなぐことができた。

しかし、ストゥージズの生きた社会が相互扶助を重んじる社会だったらどうだっただろう。きっとストゥージズは商業的な成功などせずとも、音楽をしながら暮らすことが可能だったであろう。なぜなら惜しみない相互扶助なら、すべての人に必要なすべての物が与えられるからである。

元来ストゥージズとは共産主義的なバンドであったとストゥージズのヴォーカルであったイギー・ポップは、映画「ギミー・デンジャー」の中で言っている。

「何でも皆で共有した」。イギー・ポップことジム・オスターバーグはそう語る。食べ物も何もかもすべてメンバーの数である4等分して、共同生活していたとジムは言う。

つまりストゥージズ自体は相互扶助的なバンドだったのである。

不安で駆動される相互不信の社会の中で、相互扶助的にバンドは運営されていたのである。

ストゥージズのメンバーは4人である。その取り巻きを合わせれば、もっと数は増えるであろうが、一部の人間だけでは相互扶助は成り立たなかったというのが、事実である。

相互扶助はもっと大きな広がりが必要なのである。それはすべての人々の協力である。すべての人がすべての人に対して開かれており、相互扶助的であること。大切なのはこれである。