連載 アナーキー 第30回

警察が暴力的であるがゆえに彼らも暴力的な態度をして行動に移る他ないのである。暴力はパーカーを着た集団(ブラック・ブロックという)よりも警察の方が得意分野である。ブラック・ブロックよりも先に暴力的なのは当然警察、国家である。

アナキズム=暴力的集団というイメージがあるようである。フランス映画「アナーキスト 愛と革命の時代」もアナキストは盗みをして、建築物を爆破し、警官を撃ち殺すというように描かれている。

確かにアナキストにもそのような闇の時代(映画の舞台は19世紀のパリ)があったのかもしれないが現在は違う。むしろ暴力的なのは国家である。

国家が暴力的でない?じゃあなぜ軍は戦闘機、戦車、戦艦、機関銃や拳銃を所有しているのか?実際にそれを使っていない?だが国家は確実に弾薬を所有している。その所有によって、国家は人々を服従の元に置く。少なくとも国民の服従の要因にはなっている。それが自発的服従でも、自発的服従でなくとも。つまり国家は暴力装置なのである。

国家が圧倒的に暴力的であり、アナキストの暴力など国家の前には無きに等しい。しかし国家はアナキストを恐れている。なぜか?アナキストの思想は人々を内部から変化させ、国家の支配を無き者にしようとしていると国家には映るからである。

国家は1人1人の心変わりが恐ろしいのである。国民が自発的に服従しなくなったら、国家は非自発的な服従を作り上げるために、様々な仕組みを作り上げるだろう。自動的に国家に国民が服従するような仕組みを。

しかし、内発的に自立した国民がそれに従うことはないだろう。内発的な国民は、国民であることを辞めるかもしれない。内発的自立を求める国民はアナキストたちが言うような連合主義的な態度をとり、相互扶助的な精神を意識するまでもなく、内発的に相互扶助するだろう。

それぞれの国民の中に今現在、国家対アナキズムの対立など存在しないのかもしれない。アナキズムを意識している国民はいないかもしれないが、しかしアナキズム的な国民はいる。フードバンクに参加する人たちがそうであるし、日々の互助的な活動もそうである。