連載 アナーキー 第16回

まず生産手段について説明したい。

この世界のありとあらゆるものの内で、人間によって使用される物を2種類に大別することができる。生産手段と消費資料である。

生産手段とは、ものを作り出すために必要なもののことである。これに対して、消費資料とは使用されて捨てられるものである。

つまり、世界のあらゆるものを人間にとっての生産と消費に割り当てるのである。その内生産に関するものが、生産手段というわけである。

具体的に言うなら生産手段とは以下のものである。原材料、土地、森林、自然的資源、道具機械等のものである。

集産主義も共産主義も生産(ものを作り出すこと)に必要なものを労働者と農民の手にゆだねる。

集産主義は生産手段を労働者と農民が管理する。共産主義は生産手段+財を労働者と農民が管理する。

ではこの財とは何か?それは世の中にあるものから生産手段を取り除いて残ったものである。例えば家庭で使われる、車や、テレビや、パソコンや、クーラー等の製品や、家とか、別荘などである。

共産主義は世の中にある人間に関するすべてのものの管理を労働者と農民の手にゆだねるのである。

労働者と農民が管理するものに財を加えるか加えないか。それが集産主義と共産主義の違いである。

世の中のすべてのものを生産と消費にわける。そして生産と消費の両方を労働者と農民の手にゆだねて管理していくのを共産主義と呼び、生産のみを労働者と農民が管理するのを集産主義と呼んだのである。

では労働者や農民による管理をどのようにしていくのだろうか?

それは国より小さい単位でより効率の良い自治の範囲である。つまりここで連合主義の考え方が登場するのである。

連合の単位は2万人程度の集団でもいいのかもしれない。それくらいの大きさの範囲ならば、国を使って官僚が肥大するというような不正は生じないだろう。

しかも、主役が労働者と農民である。現在の支配者である、企業よりはずいぶんましな選択ができると思われる。そう企業よりははるかにましになるだろう。なぜなら彼らは労働する当事者なのだから。