連載 アナーキー 第18回

国とは想像上の虚構である。この事実は別に特に新しい事実ではない。多くの人によって言われていることである(例えば吉本隆明共同幻想論」やベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」)。国とは想像上のものなのだと。

プルートンもバクーニンクロポトキンも、国に頼ろうとはしなかった。プルートンとバクーニンクロポトキンにとって、国とは統治権力に関わる人々のことだった。皇帝や貴族が国だとプルートンもバクーニンクロポトキンも考えていたようである。

プルートンもバクーニンクロポトキンも国は権力的であるとして国の存在を嫌っていた。彼らは国とは虚構であるとは言わなかったが、彼らにとって国は虚構であるという考え方は好都合なはずである。国が想像力の産物であるなら人々の考え方で国は消滅することがありえるのだから。

プルートンもバクーニンクロポトキンも権力=国を信じていなかった。彼らは連合主義的な考え方をしていた。そしてその連合主義の主役は、農民や労働者である。

そして農民や労働者は何で繋がっているのか?それは国のような難解なもので繋がっているのではない。

農民や労働者は自発的、内発的な好意によって繋がっているのである。この好意のことを相互扶助という。

つまり、人々が内発的に互いに助け合うのが、人々のそのままの在り方だとうのである。

この相互扶助という考え方を前面に明確に打ち出したのはクロポトキンである。

クロポトキンは「相互扶助論」という本を出している(単行本は1902年に発行)。 [ピョートル・クロポトキン 訳/大杉栄, 2017]

この相互扶助論の中でクロポトキンは自然界の動物の間に見られる助け合いつまり相互扶助について語る。そして人間の社会にある内発的、自発的な協力の姿を、氏族、村落共同体、ギルド(同業組合)に見い出すのである。

氏族、村落共同体、同業組合とは人間の間の相互扶助が時代によって形を変えて出現してきた記録を示す言葉である。