無政府主義者の堕落

映画「汚れた手(原題:Likaiset kädet)」を、ユー・チューブ(You Tube)で無料で英語字幕で観た。

この映画は1989年のテレビ映画で、映画のジャンルは第二次大戦ナチス・ドイツ暗殺ものだ。

この映画には、原作がある。それは、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルの描いた劇の「汚れた手(原題:Le mani sporche)」だ。この劇の「汚れた手は」、このアキ・カウリスマキのテレビ映画「汚れた手」とは、舞台が違う。原作のサルトルの劇の方は舞台は、エドリア海の東岸のイッリリアというモンテネグロからアルバニアの北にかけての架空の国だ。アキ・カウリスマキのテレビ映画「汚れた手」の方は、舞台がフィンランドになっている。

このテレビ映画の時代は、第二次世界大戦の頃だ。1917年にロシアからの独立をしたフィンランドは、再びロシア(ソ連)との間で1941年から1944年にかけてContinuation War(継続戦争)をしていた。

その継続戦争の間、フィンランドナチス・ドイツと軍事同盟なしの協力(Co-belligerence)をしていた。つまり、フィンランドは、ナチス・ドイツソ連という共通の敵を持つことで協力関係にあった。このテレビ映画「汚れた手」は、フィンランドナチス・ドイツと協力関係にあった第二次大戦時のフィンランドを描いたものだ。

この映画には、主に3つの対抗勢力が存在する。1つは、the underground Social Democratic Party(社会民主党の地下組織)、1つはSocial Democrat Party(社会民主党)、1つはナチス・ドイツだ。

前2者の組織、社会民主党の地下組織と社会民主党は同じ組織と言っていい。社会民主党の地下組織は、同じ組織に属する社会民主党のHoedererホーデラーという人物を暗殺しようとしていた。

それは、ホーデラーが、ナチス・ドイツと手を組もうとしていることを地下組織が気付いたからだ。そのホーデラーの暗殺の実行の任務を受けるのが、地下組織の新聞を書いているヒューゴ・バリンという人物だ。

ヒューゴは結婚していて、ジェシカという妻がいる。ヒューゴとジェシカは、夫婦2人で、同じ社会民主党であるホーデラーの屋敷に転属する。ヒューゴは、ホーデラーの秘書になる。そして、ヒューゴはホーデラーの暗殺を実行に移そうとする。

この映画のタイトル「汚れた手」とは、どういうことか? それは、ホーデラーの暗殺をするヒューゴの手のことか? それとも、ナチス・ドイツと手を組もうとした自由の戦士のはずのホーデラーか? それとも、ナチス・ドイツと手を組もうとした偽りの自由の戦士のホーデラーの死をヒューゴの暗殺ではなくナチス・ドイツの暗殺だとして、ホーデラーを自由の戦士の悲劇的な犠牲的英雄に仕立て上げて、アメリカからの協力を取り付けて、ナチス・ドイツに勝った社会民主党の地下組織か?

当初は、ホーデラーの暗殺を計画したホーデラーの身内の地下組織だが、ホーデラーが英雄として祭り上げられていて、自らも政府の一部になった今、地下組織がホーデラーを暗殺したことがばれると、地下組織が政府から追い出されてしまう。

自由を信条として、アナキスト的な無政府主義の理想に燃えた社会主義の地下組織が、政府に参入するという皮肉。そして、社会民主党の地下組織のメンバーが政府の一部であることに意義を感じている皮肉。自由の戦士が、ナチス・ドイツほど嫌ったブルジョワジーと手を組んで、自分を政府の一部だと誇る皮肉、矛盾。この映画「汚れた手」には、そういった皮肉や矛盾が込められている。

ナチス・ドイツが、自由の戦士たちにとってどれほどの敵であったかは、時代が示している。フィンランドでも、ナチス・ドイツが迫害したユダヤ人が強制移住をさせられている。自由の戦士たちにとって、ナチス・ドイツユダヤ人を連れ去り、ユダヤ人の財産を奪い、ユダヤ人を強制収容所に入れて、最終的にはユダヤ人を大量虐殺した非常に非人道的な、非常に問題のある組織だった。また、ナチス・ドイツは自由の戦士たちが嫌う階級を維持していた。

その敵であるナチス・ドイツと手を組むホーデラーは、自由の戦士たちの集まりである地下組織にとっては、許しがたい存在であったはずだ。しかし、結果的に、戦争の勝利のために、地下組織はホーデラーを英雄とすることを承認する。

そして、そのために、ホーデラー暗殺の真相を知る、ホーデラーを地下組織の命令で暗殺したヒューゴは邪魔になり、自由の戦士のはずが今や政府の一部になった元地下組織のメンバーに、政府の敵としてヒューゴは暗黙の裡に捕らえられる。

これは、自由の戦士であるアナキストが、政府と言う憎むべき敵に自らがなってしまうという皮肉と矛盾だ。アナキストは、無政府主義を信条とする。無政府主義者は、権力のない世界で人々が調和して生きることを目指している。すべての混乱と憎しみは、政府と言う権力者がもたらすと信じているからだ。

もちろん無政府主義者は権力者すべてを嫌う。その無政府主義者が権力に取り込まれる。これは、自由の敗北だ。地下組織の無政府主義者社会民主主義者は、政府に入り込むことにより堕落した。

映画のラストで、その事実にヒューゴは怒り狂う、そして自ら統治権力に捕まる。ヒューゴは獄中から脱獄して、自分を助けてくれると思った地下組織の昔の仲間を頼ったが、その仲間は堕落していた。

自由の戦士に人は憧れる。ナチス・ドイツのような権力が蔓延る時代には、余計に自由への渇望が生まれる。だが、自由の戦士は、この映画「汚れた手」のように堕落することもある。自由の戦士が権力になびく。権力になびいた自由の戦士は、既に自由の戦士であることを止めている。ミイラ取りがミイラになるというが、まさにこの映画「汚れた手」の地下組織のメンバーは、ミイラになった。

例えば、アメリカの保守。アメリカの保守は、小さな政府を信条とする点で、基本的にアナキズム的だ。だが、実際のアメリカ保守は、既得権益の権力的支配を許容するというか奨励する、金持ちの権力者のための政党だ。ならば、アメリカの革新である民主党はどうか? 民主党既得権益者という権力に与する。

例えば、日本の保守、自民党はどうか? 自民党の保守も、企業から不透明な多額の政治献金を受け取り、それを私的に使用している(2024.3.16現在)(1,2,3)。国民のためを謳う自民党の政治家は、金持ちの言いなりだ。そして、金持ちと政治家は権力を振るう。日本の保守には、アメリカの保守のような自由への渇望はない。日本の保守にあるのは、古き崇高な存在への一体化だ。そんな、日本の政治家に自由は理解できない。アメリカに追従しているようでは、日本の政治家に自由はないだろう。

無政府主義者が、政府に転落する。その醜さを描いたのがこの映画「汚れた手」だ。

 

 

43m47s Dirty Hands Hugo Barine

41m54s Dirty Hands Hoederer

42m55s Dirty Hands Nazi's German

1h3m7s Dirty Hands Olga

 

www.youtube.com

 

1.自民党への政治献金は本当に「社会貢献」で「問題ない」のか 経団連会長発言、実は全然唐突じゃなかった 2023年12月7日 12時00分 東京新聞

https://www.tokyo-np.co.jp/article/294451

2.<デジタル発>すし、うなぎ、すき焼き…高級店に30万円弱 疑問多い政治資金の使い道
会員限定記事 2023年1月25日 10:00(1月25日 11:21更新) 北海道新聞

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/791652/

3.「政治と金の話」なのに、いつのまにか…自民党「裏金」問題で行われた「論点のすり替え」のズルさ プチ鹿島2024/01/30 文春オンライン

https://bunshun.jp/articles/-/68663?page=1

 

"Anarchism in Finland" Wikipedia 

-The Finnish Social Democratic Party was influenced by some anarchists in the early 20th century.
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Anarchism_in_Finland