富裕層は爬虫類?

映画「ゼイリブ(原題:They Live)」を観た。

この映画は1988年のアメリカ映画で、映画のジャンルはSFアクションだ。

この映画で描かれるのは、わかりやすく言うと、アメリカの富裕層とアメリカの貧困層の対立だ。

2024年、現在、世界には世界の富の多くを独占しここ近年富を増加させた5人のビリオネアがいる。それは、グローバル・ノースに住む、つまり世界を貧しい南側と富んだ北側と分けた時の北側に住む人たちのことだ。世界の最もリッチな1%は、世界の金融資産の43%を所有している。世界のビリオネアのうちの一人は、元アマゾンのCEOのジェフ・ベソスだ。https://www.oxfam.org/en/research/inequality-inc

この映画「ゼイリブ」では、アメリカの富を独占するリッチな人たちと、それに群がるプチリッチな人たちについて描いている。この映画「ゼイリブ」は、1988年の映画で、その頃はまだ、世界の富は今日ほど少数の人の間に多く所有されている状況ではなかったが、それでも世界にもアメリカにも、格差はあった。

先に引用した5人のビリオネアについての統計は、2024年のオックスファムOxfamの世界の富の統計だ。それは、国境を考えずに世界全体の富の状態を示している。

ただ、この映画のようにアメリカ全体のことに限定するとどうだろうか? 例えばアメリカのテスラのCEOのイーロン・マスク。フォーブスによると、イーロン・マスクの2023年の資産は2510億ドルだ。https://www.forbes.com/sites/mattdurot/2023/10/03/the-richest-person-in-america-2023/?sh=b1745e427a29 イーロン・マスクはビリオネアだ。

スタティスタ(statista)というサイトによると2023年、アメリカのトップ10%の人たちが、アメリカの富の66.6%を独占している。アメリカの底辺の50%は、富全体の2.6%しか所有していない。また、2021年アメリカの9.3%の家庭が、年間所得が15000ドル(日本円にして約225万7252 2024.2.24 5:30頃)以下だった。https://www.statista.com/statistics/203961/wealth-distribution-for-the-us/

ちなみに、2023年のアメリカの富の全体は、454兆4000億ドルだ。https://www.ubs.com/global/en/family-office-uhnw/reports/global-wealth-report-2023/_jcr_content/mainpar/toplevelgrid_5684475/col2/linklistnewlook/link_copy.0357374027.file/PS9jb250ZW50L2RhbS9hc3NldHMvd20vZ2xvYmFsL2ltZy9nbG9iYWwtZmFtaWx5LW9mZmljZS9kb2NzL2RhdGFib29rLWdsb2JhbC13ZWFsdGgtcmVwb3J0LTIwMjMtZW4ucGRm/databook-global-wealth-report-2023-en.pdf

先ほどの、イーロン・マスクの資産は、他の統計と比べると多少多く見積もられているが、ここではイーロン・マスクの富を2510億ドルとして考える。年間所得が15000ドルの家庭と、イーロン・マスクの資産2510億ドルを比べると、イーロン・マスクの資産は、年間所得が15000ドルの家庭の約1673万倍になる。この数値でも、アメリカの富の格差が明確にわかる。1673倍だ。イーロン・マスクがいかに富を独占しているかが明確にこの数値が語っている。

映画「ゼイリブ」は、アメリカにある格差の状態をどう示しているのか? それは、この映画「ゼイリブ」を観てもらえば明らかになると思われる。

普段、もしイーロン・マスクのような金持ちと、その金持ちが装飾品を何もつけずに、格安店で買った服を着てすれ違ったら、もしそのリッチな人がイーロン・マスクほどメディアに露出していなかったら、私たちはその人がスーパーリッチであることに気付かないだろう。

そして、そのスーパーリッチが、手に銃を持って、女性や老人や子供を威嚇していなければ、そのスーパーリッチの極悪性はわからないだろう。

しかし、この映画「ゼイリブ」では、視覚的にスーパーリッチの極悪性がわかるようになっており、その極悪な視覚性を持った人物が、「俺みたいにリッチにそのうちなれるよ」と発言することにより、金持ちは視覚的に起因して音声的にも極悪ということが、明確に映像と音声で示される。

この映画「ゼイリブ」の原作となったのは、レイ・ネルソンの「朝の8時」というショート・ノベルだ。https://pvto.weebly.com/uploads/9/1/5/0/91508780/eight_o%E2%80%99clock_in_the_morning-nelson.pdf

ジョージ・ナダという男がいて、その男が催眠術をかけられる。すると、普段何気なく観ていた景色の中に異質なものが見える。そこには爬虫類のような顔をした人がいて、その爬虫類のようなエイリアンが、「政府に従え。我々が政府だ」と言っている。

それを見たジョージ・ナダは、何か得体のしれない者に社会が乗っ取られていることに衝撃を覚えて、その爬虫類のようなエイリアンを殺し始める。

見た目が異質なだけで、エイリアンを殺すのならば、人種差別と似たようなもので、そこには排外主義的な醜悪さがあるだけだ。

しかし、ポイントは、その爬虫類の見た目をしたエイリアンが、政府であり、政府に従えと言っていることだ。

例えば、ここでアメリカ人の保守の思想を思い出してみる。アメリカの保守が思い描く思想は、“最小国家”だ。国家は人の自由を縛るものと考えて、人々の自由のために国家を最小にすることを、アメリカの保守は望んでいる。

そして、その時に必要とされるのが、共同体の連帯だ。つまり、大きな政府では、困った人を政府が助けるが、小さな政府では、困った人を助けるのは、政府ではなくて、隣人だ。そこで、宗教的な共同体が登場することもあるだろうし、無神論者の共同体が助け合いを政府の力を借りずに行うこともあるだろう。

つまり、アメリカの伝統は、最小国家にある。それを、念頭に置くと、なぜジョージ・ナダが、爬虫類のようなエイリアンに違和感を持ったかわかる。それは、エイリアンの見た目と言うよりも、そのエイリアンが「私たちは政府で、その政府にお前たちは従え」と言っていることに起因する違和感だ。つまり、エイリアンとはアメリカ人保守層の反感を買うものなのだ。

ただし、大きな政府を信条とするアメリカのリベラルの人が「我々が政府だ。我々に従え」と言われたら、もし我々が国民でなく、一部の支配層のことならそこでも反発を、この支配層であるエイリアンたちが買うことになる。保守もリベラルも共通して重視しているのは、我々の幸福を決めるのは、我々であるということだ。だが、エイリアンを殺すのは行き過ぎかもしれないが。

この映画「ゼイリブ」は、格差を描いた映画だと書いた。この映画を観れば、レイ・ネルソンの描いたような小説の文字が、映像となってわかりやすく描かれていることがわかると思う。ただ、この映画を理解するには、国を動かしているのは国民一人一人だという意識と、アメリカ人の持つ自由への熱望、のようなものを理解しいている必要がある。

経済格差があっても自由があればいいじゃないか、という声も聞こえてきそうだが、経済格差があり貧困があると、その日の暮らしに精一杯で、自由を感じる時間などないかもしれない。

貧困と幸福という問題もあるかもしれない。スーパーリッチが幸福であるとは限らないというマザー・ジョーンズの記事を読んだが、しかし、食べるものや着るものに困り、衛生状態が悪くて病気になるようでは、幸福の最低限のレベルを満たしているとは言い難い。https://www.motherjones.com/media/2023/06/succession-finale-logan-roy-siblings-inheritance-wealth-misery/ 

ただ、そこにある一瞬の幸福は他では得難いという、貧困を肯定する見方があるとしても、その幸福とやらは、貧困を忘れた瞬間にやって来るものなのではないだろうか?

格差を視覚的にわかりやすく描いた映画が、この映画「ゼイリブ(意訳:支配層の爬虫類系たちは(人間を)監視している)」だ。