ヨーロッパの問題、アフリカの悲劇

映画「アテナ(原題:Athena)」を観た。

この映画は2022年のフランス映画で、フランスの暴動を描いた映画だ。

この映画の中心となるのは4人の兄弟だ。長兄からモクタール、次男アブデル、三男カリム、四男イディールだ。この映画は、四男のイディールが、警官らしき人物に殺されて、そのために軍人である次男のアブデルが、暴動にならないように会見で発言するシーンから始まる。

そして、その警察署での会見の最中に、火炎瓶が三男カリムの手で投げ込まれる。するとそこから冒頭10分は、警察署から銃などを略奪して、パリの郊外にあるバンリューと呼ばれる低所得者と移民が暮らす場所へ、ワンカットで移動する。

そのバンリューの架空の区域の名前が、この映画のタイトルであるアテナだ。この映画は、古代ギリシア悲劇の題材となった、トロイ戦争を元にしている。アテナは、ギリシア悲劇にも登場する戦いの神の名前だ。

フランスのバンリューでは、暴動がたびたび起こっている。1981年の暴動、2005年の暴動、2020年の暴動だ。1981年の暴動では、バンリューで暮らす低所得者や移民の人たちが、政府に対する不満から暴動を起こし、車に火を点けた。

2005年のパリの郊外の暴動は、ティーンエージャーが死んだことがきっかけとなって起こった。黒人と、アラブの西部に住む人という意味があるマグレブの子孫の、計2人が、その時死んだティーンエージャーだった。

2020年の暴動は、バンリューでの民族少数者への警察の待遇により、衝突が起こった。それはちょうど、コビット‐19のロックダウンの最中で、幾夜に渡って起こった。パリ郊外のバンリューでは、このようにたびたび暴動が起こっている。

2019年の「レ・ミゼラブル」というフランス映画でも、暴動の引き金となっている、警察のバンリューでの、バンリューで暮らす人々に対する、警察の態度の悪さが描かれていた。この映画「アテナ」は、映画「レ・ミゼラブル」の続編として観てもよい。

フランスの郊外に住む低所得者の中には、移民や移民の子供たちがいる。その移民はどこからやって来るかというと、それはアフリカだ。アフリカでは内政が不安定で、住民の身がいつも危険と隣り合わせだ。

代替メディアのThe Interceptの記事によると、アメリカが、アフリカ大陸で兵士を育てて、アフリカで民主的な体制が出来上がると、そのアメリカにより軍事訓練を受けた兵士がクーデターを起こして、民主的な政府を崩壊させてしまう、といったことが起こっているとある。

民主的でない軍事的な政権は、恣意的に行動し、その際に、軍事政権によって抑圧される人たちが、アフリカの難民となり、ヨーロッパに結果的に渡ってくる。

アフリカ大陸の北の部分の人たちの住む国で、クーデターなどにより内政が不安定化すると、多くの難民が生まれて、その難民がナイジェリアやスーダンなどを経て、リビアに集まり、海を越えてヨーロッパに渡って来るのだ。

つまり、アフリカの内政が不安定な結果、難民が生まれて、フランスのバンリューと呼ばれるようなところに難民が行きつく。映画「イゴールの約束」(1996年)も、そのような難民問題の結果を描いた映画の1つだった。

もともと、アフリカ大陸は、西洋によって植民地化された地域だった。そこでは、アフリカの人たちは、植民地の住民として貧しい生活を強いられた。そして、今アフリカの国々は、西洋の支配から独立したことに、形式的には、なっている。

しかし、未だにアフリカの人々は貧しい状況に置かれている。それは、例えば、アフリカのエチオピアのコーヒーについて描いた映画「おいしいコーヒーの真実」(2006年)だ。アフリカでいくらコーヒーで世界最上級のものができても、それはニューヨークの市場で決まった価格の下で、最終的に安値で買い取られてしまう。

これは、欧米諸国によるアフリカの搾取だ。エチオピアは、世界でも貧しい国の中に入る。今は代わったが、2019年当時、世界で最もリッチな、アマゾンのオーナーだったジェフ・ベゾスの財産の1%は、エチオピアの保健予算と等しかった。

搾取する欧米のスーパーリッチと、搾取されるアフリカ大陸のような第三世界との格差と、スーパーリッチたちの強欲さがここに見て取れる。例えば、ジェフ・ベソスが自分の財産の1%を寄付すればエチオピアの保健予算は、倍になる。そうすれば、エチオピアの人たちの衛生状況が改善されるのだ。また、ジェフ・ベゾスの財産の1%を、保健予算に当てて、余剰を他の予算に遣うという方法もある。

ただ、そのようなことができる民主的な政府が、エチオピアにあればの話だが。先に、示したように、クーデターを、アメリカが訓練した兵士が起こしてしまえば、いくら寄付したところで、その寄付は、軍事政権の懐に入って、浪費されて終わってしまうだろう。

このような状況の中にある難民、移民の問題だが、難民の行きつく先としてあるのが、例えばフランスのバンリューのような公共住宅団地だ。そして、そこでも差別されてきたアフリカの人たちは、差別を受けて苦しい生活を余儀なくされている。

この映画「アテナ」では兄弟に焦点が絞られるが、このような兄弟のような不満を持つ人びとは、バンリューに住むすべての人たちだということができる。映画の中では、従順そうに描かれているバンリューの大人たちも、不満をもつ人々のうちの1人だ。

この映画「アテナ」では、四男イディールが警官によって殺されたと思った、バンリューの住民の人たちの一員である三男のカリムが、弟の復讐のために、弟を殺したとされる警官の名を警察に公表させようとする。

しかし、この映画「アテナ」により描かれるのは、復讐で人を殺しても、復讐者は救われないということだ。それを、よくあらわしているのが、次男アブデルのこの映画での描かれ方だ。

映画の中で、次男アブデルは、三男カリムの死の直接の原因となった、長男モクタールの行動により、モクタールを恨み、絶望し、発狂して、怒り狂い、モクタールを殴り殺す。そして、アブデルは自己を喪失し、無気力に陥ってしまう。

昔、社会学者の宮台真司は、「絶望から出発しよう」という本を書いた。アブデルは、絶望から救われなかった。そのアブデルの絶望を、味わうのは、この映画を観た人たちだ。絶望から出発するのは、この映画を観た人たちだ。

アフリカ大陸の内政不安定、それによる難民の発生、ヨーロッパへの移民。今ある問題の原因を作り出したのは、移民問題に頭を抱えるヨーロッパの国々だ。ヨーロッパ政府は、アブデルの絶望に共鳴して、絶望から出発して、利他的な政策を打ち出す時だ。

 

 

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theintercept.com

 

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