欠点を認める

映画「非常に残念なオトコ(原題:Shortcomings)」を観た。

この映画は2023年のアメリカ映画で、映画のジャンルはコメディだ。

この映画の主人公はベン・タガワという日系三世のアメリカ人で、カリフォルニアのバークレーに住んでいる30歳くらいの、大学の映画学科を中退して映画を撮ったが失敗に終わり、今は映画の劇場の雇われ支配人をしている男だ。

ベンにはミコ・ヒガシというガールフレンドがいる。ミコは、映画関係の仕事に就いており、イーストベイ・アジアン・アメリカン映画祭なるものの企画に関っている。ベンとミコは付き合って6年経っていて、最近はベンの持ち前の皮肉たっぷりの劣等感から来る相手への辛辣さから、2人の間は不和になっている。

この映画「非常に残念なオトコ(原題:Shortcomings)」は、エイドリアン・トミン(Adrian Tomine)の“ショートカミングス(Shortcomings)”(2007)というグラフィック・ノベルが原作になっている(1)。この映画の原作のグラフック・ノベルについては、2007年の11月11日にニュー・ヨーク・タイムズで記事になっている(2)。登場人部の名前などが多少違ったりするが、大筋はこのコミックに従ってこの映画「非常に残念なオトコ」が作られているようだ。

ちなみに、この映画の原題:Shortcomingsは、単語のshortcomingの複数形だ。shortcomingは、「誰かのキャラクターや、計画や、システム等の欠点」という意味だ。原題では複数形のShortcomingsになっているので、複数の欠点があることを示しているのだろう。

原作の“ショートカミングス”の淡々としたスタイルは、映画にもなった“ゴースト・ワールド(Ghost World)”や“デヴィッド・ボーリング(David Boring)”のダニエル・クロウズ(Daniel Clowes)や、“ラブ・アンド・ロケッツ(Love and Rockets)”のヘルナンデス兄弟(the Hernandez brothers)のグラフィック・ノベルから影響を受けているようだ。

原作の淡々としたスタイルは、この映画「非常に残念なオトコ」でも受け継がれている。映画は、ベンの恋愛を中心とした日常を描いていて、淡々として、時にユーモラスで、時に残酷だ。

ベンは、白人の女性に執着を持っている。ミコは映画の前半で、ベンが白人女性ばかり出てくるポルノをパソコンで見ているのに対して怒る。「あなたは白人の女の子が好きなのに、妥協してアジア系の私と付き合っているわけ!?」。ミコは、自分がベンに尊敬されていないのと感じ、それに対して不満を感じて、ベンに対して切れる。

ベンは、普段から、愚痴や嫌味を、ミコに対してブツブツとつぶやいたり、怒鳴ったりする。それに対して、ミコはいい加減にうんざりして、ミコはカリフォルニアのバークレーからニュー・ヨークに行ってしまう。

ベンは、周囲の環境をうまく愛することができない。ベンは昔で言うインテリだ。きっと、優秀な大学で映画の勉強をしていたと思われる。ベンは自分のインテリジェンスにより、世界が偽善に満ちていることを見過ごせない。ベンは、誰彼構わず皮肉を吐いてしまう。

ベンは高校時代学校で一人のアジア系だった。その高校時代をベンはどん底の時代と述べる。きっとベンは、孤独感を味わっていたのだろう。持ち前の皮肉で、自分の境遇をマイナスに批評して、周囲に溶け込めなかったのだろう。

アジアン・アメリカンへの差別で連想されるのは、ここ数年で起こった、アジア人女性に対するアメリカ合衆国でのヘイト・クライムだ。アジア系の女性が、アジア系であるという理由だけで襲われて殺される事件が起きている。アジア系への差別は、アメリカ合衆国では実は根強い(3)。

映画中に、アジア系に対するアジア系の差別の歴史が語られる。それは、日本人による韓国人のレイプだ。第二次世界大戦中に日本人は、韓国人女性を慰安婦と名付けてレイプをしていた。韓国人女性が、生きるために慰安婦になることを選択したという意見もあるようだが、戦争中に慰安婦になるか貧しく暮らすか? という選択を迫られていたとしたら、韓国人女性にとって生きる道の選択肢はないに等しい。韓国人女性は自ら慰安婦になることを望んだのだ、と言えなくもないが、それはあまりに韓国人女性の当時の状況を甘く見ている。ただ戦時は、誰もが余裕がなかった。だから、その中での韓国人女性の選択肢があることは、まだましだったというのだろうが、慰安婦と暴力は同じことだ。だから、今現在の価値観で慰安婦を認めることはできない。それと、同時に第二次世界大戦下での人々の置かれた状況を正常と呼ぶことはできない。戦時下は異常時で、それを後世がしかたなかったとすることは、暴力を正当化することに等しい(4)。

映画中、ベンのレズビアンの友達のアリス・リーが、日本人による韓国人女性のレイプに関して、もっと本を読んで勉強しろ!!とベンに言うシーンがある。日本人の従軍慰安婦問題を責められた日系三世のベンは、「第二次大戦中に僕のおじいちゃんたちは、アメリカで強制収容上に入れられていたから、僕は日本人の韓国人女性へのレイプには関係ない!!」と言う。苦し紛れだ。

アメリカ合衆国の日本人は第二次世界大戦中に、アメリカ合衆国が参加する連合軍の敵国の血を継ぐ者だということで、差別されて強制収容所に入れられていた歴史がある(5)。ベンの言っていることは事実だ。ただ、ベンは言い逃れしているに過ぎない。韓国人の心情を考えるならば、ベンは自己弁護するべきではなかっただろう。

ちなみに、満州に移住して終戦になりそこから引き上げる日本人の実話が本になっている。そこでは、日本人の特定の地域からまとまって満州に移住していた団体が、身の安全と食糧を得るために、それまで日本人の敵とされてきた軍人へ自分たちの集団の中の女性を性奴隷として、軍人たちへ提供していたという事実がある(6)。

日本人は、レイピストだ、とアリス・リーに言われても仕方がないような歴史があることは事実だ。日本人は、韓国人のレイプをして、日本人の同胞を性奴隷として敵国の兵士に提供した。戦争という非常事態を生み出すのは人間で、そこで非人道的な行いをするのは人間だ。フロイトは人間にはエロスとタナトスがあると言った。性欲と破壊。その両者が、人間の残酷な状態として現れるのが、戦争だ。

自分の失敗を認められない日本人。自分のマイナス面を認められないベン。この両者はとてもよく似ている。両者とも、自身の欠点を認められず、成熟した人間になることができていない点で。

この映画はベン・タガワの成長の物語だ。ベンにとって重要なのは、ミコと関係を戻すことではない。ミコを一人の人間として尊敬することだ。ミコを一人の人間として尊敬することができるようになることが、ベンにとっての成長だ。

日本人が韓国人を人と認め、日本人男性が日本人女性を人として認める。僕も普段から職場などで、女性を家事手伝いと性欲のはけ口だと思っている男性の本音が思わず飛び出した発言を耳にするたび、日本人男性はまだ家父長制にしがみつき、女性を人として認めていないのだな、と痛感している。

差別する側が人間として成長する、つまり差別する側が人間になることで、差別される側もまた、差別する側にとってようやく人間になる。そのためには、差別する側の中にある人間像を真に人間的なものにする必要があり、差別する側の劣等感を取り除く必要があるのだろう。

ちなみに、この映画「非常に残念なオトコ」には、オータムという白人女性が登場する。ここで映画「(500)日のサマー」(2009)を思い出す(7)。映画「(500)日のサマー」では、サマーという女性に失恋した主人公がラストで、オータムという女性と出会う。そう、映画「(500)日のサマー」も主人公が自分の本当になりたい自分を取り戻す物語だった。このなりたい自分というのは、人間として輝いている自分、つまり成熟した理想的な人間となった自分だ。映画「非常に残念なオトコ」も、映画「500日のサマー」も同じ問題を扱っている映画だ。そして、この両映画のラストの違いは、非常に興味深い。

 

 

1. 

https://drawnandquarterly.com/books/shortcomings/

2. 

Shortcomings - Adrian Tomine - Books - Review - The New York Times

3.

We Were Supposed to Help Asian Migrant Women—Instead We Got Police | The Nation

4. 

1975年に元慰安婦だと初めて明かした女性がいた その生涯を学ぶ20代、30代が感じたこと:東京新聞 TOKYO Web

5. 

Never Again: Human Rights Groups & Japanese Americans Warn Biden Against Jailing Migrant Families | Democracy Now!

6. 

ソ連兵へ差し出された娘たち/平井 美帆 | 集英社 ― SHUEISHA ―

7. 

(500)日のサマー : 作品情報 - 映画.com