古き悪しきアメリカ

映画「ブリット(原題:Bullitt)」を観た。

この映画は1968年のアメリカ映画で、映画のジャンルは刑事アクションだ。

この映画の舞台は、アメリカのサンフランシスコだ。サンフランシスコの市警の警部補のフランク・ブリットが、この映画の主人公だ。この映画のタイトルの「ブリット」とは、この映画の主人公のフランク・ブリットの苗字だ。

この映画の背景には、政治家と警察とシンジケートとの対立がある。しかしそれは、この映画の中で、説明的には示されない。政治家の代表が、上院議員のチャーマース。警察の代表が、警部補のフランク・ブリット。シンジケートの代表が、シンジケートを裏切った情報屋のジョニー・ロスだ。

シカゴのシンジケートの情報屋のジョニー・ロスは、シンジケートの金を横領する。これはシンジケートに対する裏切りだ。ジョニー・ロスは、シンジケートに命を狙われることになる。

そこで、ジョニー・ロスを公聴会の証人として使いたいというチャーマース上院議員は、ロスの保護を警部補のブリッドに依頼する。そして、ブリットの保護下にあるロスは、2人のチームの殺し屋に殺されてしまう。この2人チームの殺し屋とは、1人は銃を使う白髪の初老の男と、もう1人は運転を得意とする帽子とメガネの初老の男だ。

実は、この殺されたジョニー・ロスというのは、ジョニー・ロスにそっくりな別の人物だったことがわかる。チャーマース上院議員は、ジョニー・ロスにそっくりな、アルバート・E・レニックという男性に、ロスの身代わりを依頼しいていた。

アルバート・E・レニックは、中古車販売店のセールスマンで、妻がいた。妻の名前は、ドロシー・レニックという。アルバートは殺し屋にロスとして殺され、ドロシーはロスに絞殺される。

ジョニー・ロスは、チャーマース上院議員と組んで、海外に高飛びしようとしていた。チャーマース上院議員は、ジョニー・ロスの代わりに、アルバート・E・レニックを身代わりにして、殺し屋にアルバートを殺させた。また、口封じのためにドロシーをジョニー・ロスが殺した。

チャーマース上院議員公聴会で、ジョニー・ロスの証言を必要としていると言った。ならば、なぜロスを海外に逃がす必要があったのだろうか? チャーマース上院議員は、国内でロスを安全に保護することは不可能だと思っていたのか? それとも、チャーマース上院議員とロスは何か違法な付き合いがあったのか? そこは謎だ。

それにしても、なぜアルバート・E・レニックは、ロスの身代わりになるという危険な仕事を受け入れたのか? そこには、多額の金額が積まれていたのか? それもよくわからない。謎だ。

チャーマース上院議員とジョニー・ロスとの繋がりは? アルバート・E・レニックは、ロスの身代わりになる危険性を感じていなかったのか? それは、アルバートがチャーマース上院議員を信用していたからか? それともチャーマース上院議員に、アルバートは騙されていたのか? 真相はわからない。

この映画は、カー・アクションのシーンが長い。この映画の見どころの1つといっていいと思う。ただ、外れたはずのタイヤのホイルカバーが、元に戻っているという、映画製作上の不注意点を除いて。

しかし、カー・アクションは大迫力で、その欠点を見逃してしまうほど、迫力に満ちている。対向車とぶつかりそうになったり、ギリギリのところで車をかわしたりして、緊張感のあるカー・アクションシーンは行われる。

この映画「ブリッド」は、美女と車とアクションで、人目を引く映画だと言っていい。物語のストーリー的には、前述したような不可解な点が、回収されることなく残る。納得いくような答えが得られない映画だ。

この映画の中に出てくる、ブリットの恋人役の女性は、理系の仕事をしている。インテリで、美人で、収入もある。恋人は、教育を受けた、警部補だ。なかなか、地位的には悪くない男だ。おまけにスティーブ・マックイーンだからハンサムだ。

ブリットの恋人は、ブリットに満足しているように見えるが、ある時、ブリットに不信感を抱くようになる。それは彼女が、ブリットの仕事現場を目撃したからだ。警察は時として死体を扱う。その死体を扱うブリットの姿が、彼女には冷酷に見えたからだ。

しかし、この彼女の動揺は、深刻には受け止められない。それは映画を演出する一要素として扱われる。彼女が動揺すればするほど、ブリットの仕事は、一人前の男の仕事のように感じられる。

この点で、この映画「ブリット」は女性差別的だ。世の中には「男の仕事」があるのだ、といっているかのようだ。警察とは男の聖域なのだと、この映画のこのシーンは言っているようだ。しかし、それは明らかな女性差別の男性のナルシシズムだ。

冷静に考えて、世の中に「男の仕事」なるものは存在しないに等しい。どんな仕事も、女性が行うことが可能だと思われる。重機は、女性が扱えない? それは、重機の設計の問題で、女性の問題ではない。女性に扱いやすい重機を作れば何も問題ない。

この男性の仕事である警察という思い込みと同時に、この映画には、看護師は女性の仕事、という思い込みがある。警察は男の仕事という当時の風潮と、看護師は女性の仕事という当時の風潮は、明らかに男女差別だ。

この映画「ブリット」はカー・アクションを見どころにしているのかもしれない。そして、当時の風潮から、男の仕事と女性の区別を仕事を描いている。それは、明らかに男性蔑視、女性蔑視に繋がっている。

男性は、患者の面倒を看ることを得意としない、とか、女性は暴力的な警察という仕事には向いていない、というような。それが1968年という時代の風潮なのだろう。その部分に対する反省的な思考というのが、この映画には観ることができない。

この映画にあるのは、時代に媚びるあり方だ。ジェンダーとか、男女平等とか、フェミニズムとかの影響がこの映画にはあまり見ることができない。せいぜい、ブリットの恋人が働く女性であるというところが救いだろう。

ミニスカートをはいて、新時代の女性らしさを強調した働く女性の彼女の内面は、男にとって都合の良いものではないだろうか? 自ら、女性らしい“愛情に満ちた”人間であろうとする、”まともな”女性といった感じの。

死人相手に平気な男性もいれば、死人相手に平気な女性もいる。ただ、彼女は、死人相手に、平気ではいられない人だったということかもしれないが。ただ、この映画ではあまりに女性性が古典的過ぎると思われる。そこから、「女性は死体に対して平気ではいられない」という女性蔑視観を、連想してしまう。

映画の最後辺りに、ブリットはロスを射殺する。それはロスが、一般市民を殺したからだろう。ただ、このシーンは、銃社会アメリカの暗部を見た気になる。銃が蔓延しているから、日常的に銃器を使った犯罪が起こり、その対策として警察の犯人の銃殺が認可される。

アメリカの負の側面の一部だろう。