独占欲

映画「ギルダ(原題:Gilda)」を観た。

この映画は、1946年のアメリカ映画で、犯罪サスペンスホラーとでもいうような、フィルム・ノワールの映画だ。

この映画の主人公はジョニー・ファーレンというばくち打ちの詐欺師だ。ジョニーはアメリカからアルゼンチンにやって来た、風来坊のばくち打ちの詐欺師だ。詐欺とはばくちでジョニーが行ういかさまのことだ。

サイコロを使った賭け事をして、その際使われるサイコロをジョニー自身が用意し、サイコロにジョニーが仕掛けをして、詐欺をはたらく。つまりいかさま詐欺師がジョニーだ。

ジョニーはアルゼンチンに来て、とある事件がきっかけで、賭博の経営者であるバリン・マンスンに雇われて働くことになる。そしてそこにはバリンの妻であるギルダ・マンスンが現れて、恋の三角関係が始まることになる。

この映画は不倫一歩手前の恋愛と、刑事事件と、経済的なことが並行して起こる映画だ。

バリンはタングステンという物質の独占をしようとしている人物だ。独占を生じさせるために、バリンは手段を選ばない。自身の野望のために他人の命を奪うことをいとわない。

バリンは会社の経営者をコントールしようとする。というかコントロールしている。「お前はA会社から物を買うな」「でもA会社がないと、われわれのB会社は潰れてしまいます」「そんなのは知っている。金をいくらかやるから、A会社とは取引するな」というように。

とにかくバリンは会社を持つこと、物質をコントロールすることで会社を持てるような力を手に入れることを目指している。

そんなバリンが妻にする相手が、この映画のタイトルにもあるギルダという女性だ。しかしこのギルダには過去があった。ギルダとジョニーは付き合っていた仲だったのだ。この事実をバリンはつかんでいたが、ジョニーとギルダはその事実をバリンが知らないと思い、2人の過去を表面に出そうとはしない。

この映画の中に出て来る男はジョニーといい、バリンといい独占欲が強い。世界中の物質をコントロールしようとするバリンだが、ギルダも同じように独占しようとする。

そしてそれに劣らずジョニーもギルダを自身のものだけにしようとする。

夫以外の男のキスもセックスも許さないのが、ジョニーとバリンだ。ここで現在の社会を見てみよう。夫婦の間ではセックスするのは当然とされる。付き合っている2人も当然セックスするだろう。不倫のセックス?それも多分ありえるのだろう。

しかし、形式的に不倫は悪いものとして扱われる。人間の性と、結婚制度は両立するものなのだろうか?こうも思う。夫婦間以外のセックスは法律上で禁止されると一体誰が主張しているのか?なぜ結婚は神聖視されるのかと。