リビドーが金を欲する

映画「現金に体を張れ(読み:げんきんにからだをはれ、原題:The Killing)」を観た。

この映画は1956年のアメリカ映画で、映画のジャンルはフィルム・ノワールだ。

この映画の題材は、様々なものが人によってあげられるだろうが、そのうちの一つにリビドーというものがあげられると思われる。この映画を一言で表すのならそれは、リビドー、言い換えれば性欲だ。

リビドーという言葉を唱えたのは、精神分析医のジークムント・フロイトだ。フロイトは人間のエネルギーのことをリビドーと呼んだ。つまりフロイトによれば、人間を突き動かしている衝動こそが性的欲求だというのだ。

さてこの映画とフロイトのリビドーは一体どういった関係にあるのか?それはとても単純な問いだ。この映画は人間についての映画だ。ならばそれは人間のリビドーについての話になる。

この映画には主人公が一人存在する。それはジョニーという男だ。ジョニーは刑を受けて5年間刑務所で過ごして、出所してきた男だ。ジョニーには、ジョニーのことを5年間待ち続けたフェイという恋人がいる。

ジョニーは出所して200万ドルの強盗の計画を実行に移す。なぜジョニーには金が必要か?それは“つまらない日常”から逃げ出すためだ。

ジョニーは刑を受けた。つまりまともな職、好条件の仕事には就くことができないのだろう。だからお金が必要なのだ。しかし、そもそもリビドーが満たされていれば、お金などいらないはずではないか?

ジョニーはフェイが不満なのだろうか?もし仮に、ジョニーがフェイに満足しているとしよう。2人で生きて行けばいい。がしかし、2人の生活を維持するのには金が要る。だがそのお金を本当に大金である必要があるのか?

ジョニーには大金を望むところに、そしてその強盗の計画を知っていながらジョニーについて行こうとするフェイにも、リビドーの尽きることないエネルギーを見て取ることができる。

つまり人間はリビドーに突き動かされているがゆえに、1人の相手では満足することができないのだ。人間はリビドーがあるがゆえに、お金から逃れることができない。

この映画にはジョニーが競馬場から強盗しようとして、チームを作り、そのチームがまた人を呼びよせて、悲劇にすべてが転がり落ちていく様子が描かれている。

10名ほどの人物たちが、それぞれのリビドーに突き動かされて、人生を転落していく。しかし、彼らの目指した人生とは一体何なのか?

お金が何もかもを可能にしてくれる人生が、彼らの望んだ人生だ。お金は尽きることないリビドーのために注ぎ込まれる。

人間は死ぬまでリビドーに突き動かされて生きる。リビドーを人は支配したがるが、合理的に生きようとしても、支配欲は人生の失敗をもたらすのだろう。