黒人差別と、妊娠中絶と

映画「夜の大捜査線(原題:In the Heat of the Night)」を観た。

この映画は1967年のアメリカ映画で、映画のジャンルはサスペンスだ。

この映画は、1960年代のアメリカにあった黒人差別と、貧困の問題、そして妊娠中絶が非合法であることの生む悲劇を描いた映画だ。

この映画の舞台は、アメリカ南部のミシシッピ州のスパータという田舎町だ。Wikipediaを見ると、実際の撮影場所は、ジョージア州のコヴィントンだそうだ。しかし、この映画の舞台は、ミシシッピ州のスパータという設定になっているので、そのように話を進めていく。

この映画の主人公は、ペンシルベニア州フィラデルフィアで警察の仕事をしている、黒人のバージル・ティッブスという男性だ。ティッブスは、北部のフィラデルフィアから、南部のミシシッピ州に来て、殺人事件に巻き込まれることになる。

この映画のもう一人の主人公と言えるのは、ミシシッピ州のスパータの地元警察の新任署長ギレスピーだ。妻も子供もいない孤独な独身男性で、南部の多くの人と同じように黒人差別をする、どうしようもない警官だ。

そして、この映画の影の主役は、黒人差別と避妊の非合法であることだ。

黒人差別について言うと、アメリカ南部は、綿花の栽培に、黒人の奴隷労働者を働かせていた。黒人差別の撤廃が1865年のアメリカ合衆国憲法修正13条によって決まったあとも、“分離すれども平等”と呼ばれた、人種隔離政策がアメリカ南部では続いていた。

白人と黒人のトイレは別。黒人用のトイレには“colored”と表記されている。”colored”とは、有色人種をさし、この場合黒人のことを指している。バスも黒人専用の席がある。黒人専用の席はバスの後ろにある。

黒人は、バスの入り口に一回入り、お金を払い、その後バスを一回降りて、バスの黒人席に乗るためにもう一度、バスの後ろの入り口からバスに乗る。その様子は、1990年の映画「the Long Walk Home」の冒頭で描かれている。

アメリカではこの映画「夜の大捜査線」が撮られた当時は、人種隔離政策がまだ続いていた。その様子が、しっかりとこの映画「夜の大捜査線」では映画かれている。

例えば、白人の警官は、黒人に対して差別的な態度をとる。殺人事件がこの映画では起きる。すると、白人の警官は駅で休んでいる黒人のティッブスを見つけると、いきなり、「両手を壁につけろ!!手は開け!!余計な真似をしたら撃つぞ!!」と言う。

黒人だというだけで、犯人扱いされる。そして白人が犯人扱いされる時とは、全く警察の態度が違う。黒人=犯人=殺してもいい、なのだ。

その後、警察署にティッブスは行くことになるが、警察の態度は横柄、ティッブスは牢屋に入れられることになるが、その牢屋に先に入っている白人が、「俺はそいつとなんか一緒に牢屋に入りたくない!!」と黒人のティッブスと一緒に牢に入ることを拒否する。その訴えは届かないが。

アメリカにはKKKクー・クラックス・クランと呼ばれる、アメリカ南部の旗をトレードマークにしている集団がいる。映画「風と共に去りぬ」にも、クー・クラックス・クランは、登場する。映画「風と共に去りぬ」ではアメリカのシビル・ウォー、つまり南北戦争が映画の中に登場する。負傷兵が映画のスクリーンいっぱいに映るシーンは、とても凄い迫力がある。戦争の酷さにげんなりするのもこのシーンだ。

映画「風と共に去りぬ」では、黒人の召使が登場する。黒人は、子供のような言葉使いで、決断力がなく、教養にも欠ける、という映画き方もされている、若い黒人もいる。しかし、この映画「風と共に去りぬ」で一番まともな人間は黒人のメイドなのだが。

映画「夜の大捜査線」では、黒人の警官ティッブスが、ミシシッピ州の田舎町のスパータで起きた殺人事件の捜査を手伝うのだが、その捜査を妨害するのが黒人差別であり、その象徴的な存在が、南部の若者、いわゆるKKKと同調している白人たちだ。

黒人は、白人より劣った連中で、黒人を飼いならすには、手間がかかる。これが黒人の支配人であるとされる白人の意見だ。黒人を飼いならす? そんなこと黒人は求めていない。黒人は自律した人間として、十分に自分たちの能力で生きることができる。

それを認めないのが白人の奴隷主、例えば綿花農場の支配人エンディコットだ。彼の意見はアフリカ大陸の黒人を、労働用の奴隷として連れてきた白人たちを代表するものだ。黒人は扱いにくい。それが彼らの意見だ。

黒人奴隷についての映画でもっとも印象的な映画は「それでも夜は明ける」だろう。黒人が鞭で打たれ、黒人女性は白人の奴隷主にレイプされ子供を産み、その子供は奴隷労働者になる。奴隷たちは狭い小屋に詰め込まれて、家畜のように暮らす。

そのような状況の中、黒人の主人公ソロモン・ノーサップは、そのような状況からの脱出を図る。そのようなとても過酷で酷い、非人道的な状況が描かれているのが、映画「それでも夜は明ける」だ。

もう一つこの映画で重要なポイントがある。それはアメリカでは、妊娠中絶は違法であるということだ。それは今現在でも争われている問題だ。アメリカでは、今現在(2022.7.23)でも妊娠中絶を禁止するような動きがある。

例えば日本では、妊娠して中絶する場合、それは当然合法で、医者がその処置を施すことになる。だが、それが非合法になるとどういうことになるか? 非合法な中絶は、医者は行うことができない。なぜなら中絶をすると犯罪になるからだ。

そこで、登場するのが違法な中絶業者だ。しかし、違法な業者と言えども、安全に中絶を行ってくれるならば、女性にとってこれほどありがたいことはない。自分で中絶をするよりは、非合法な業者でも安全に中絶を行ってくれる方が良い。

なぜ、女性が中絶を望むか? それは、女性の人生の問題だ。大学で学びたいと考えている女性が、妊娠してしまったら? 将来の人生計画を立てることができなくなる。大学で学び、専門知識を身につけ、自分の志す仕事に就く。その計画が台無しになってしまう。

なぜか? 子供を育てるのが女性の役割と暗黙の了解で決まっているからだ。子供を地域で育てて、そのために職や施設や法律を作りましょう。このような条件がそろっていれば、もしかしたら妊娠した女性は、子供も育てながら自分の人生をまっとうすることができるのかもしれない。

また、レイプなどによる望まない妊娠にも、中絶の機会は必要だ。

この場合、選択肢は多いほうが良い。選択肢を見極め、好ましい選択が、自分の意思でできること。それが、黒人の差別の問題にも、女性の中絶の問題にも言うことができる。それを考えさせるきっかけをくれるのが、この映画「夜の大捜査線」だ。

 

 

 

アメリカの妊娠中絶について

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人種差別について

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警察による黒人男性ジョージ・フロイドの殺害とアンチ・アボーション問題

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