無料の福利厚生、無料の教育

映画「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償(原題:Judas and the Black Messiah)」を観た。

この映画は2021年のアメリカ映画で、映画のジャンルは警察犯罪・サスペンス・ドラマ映画だ。

この映画で描かれるのは主に、1960年代後半から数年の期間だ。

この映画には2人の主要な登場人物がいる。1人はアメリカ黒人の解放を訴えるフレッド・ハンプトンという若者の黒人と、もう1人はFBIに雇われたスパイであるビル・オニールだ。

この2人が所属している団体は、ブラック・パンサー党と呼ばれる、黒人だけでなく、プエルトリコや、貧乏な白人の解放を目指している集団だ。ブラック・パンサー党は、アメリカ全土に支部を持っている。

ブラック・パンサー党の目的とは何か? それはファシスト体制であるアメリカ政府から解放されること、資本主義を壊して社会主義を打ち立てることだ。

アメリカが、ファシスト体制? 第二次大戦中のイタリアが、ファシズムだったというイメージは一般に流伏している。しかし、アメリカがファシストの国だというイメージは一般の人にはきっとない。しかし、それはアメリカの黒人差別を無視した場合の見方だ。

1862年リンカーン奴隷解放宣言で黒人奴隷が解放されて、その後1865年にアメリカ合衆国憲法修正第13条が承認されて奴隷制が廃止されてからも、アメリカでは白人により黒人の人種隔離政策が続いていた。

黒人と白人の座る店の座席は区別され、トイレも別で黒人専用のトイレはみすぼらしいもので、バスの席も分けられて、黒人は白人と同じ学校には行けなかった。もちろん黒人と白人が、同じ地区に住むこともなかった。

これは黒人が、白人とは違って劣った人種であるという偏見から来る、白人から黒人への差別の現れだ。

ファシズムをインターネット上の日本大百科全書で調べてみると、「強権的、独裁的、非民主的な性格を持った…政治体制」という定義に当たる。黒人差別をする、労働者を搾取するアメリカ国家はまさにこの定義に当てはまる。

アメリカ社会は、白人中産階級以上に対しては、強権的で、独裁的、非民主的ではないかもしれないが、明らかに黒人に対して、貧しい白人に対して、プエルトリコ系の人に対しては、強権的で、独裁的、非民主的だ。

前述した黒人の人種隔離政策からもわかるように、黒人は白人に無理やり差別されて低い階級に貶められ、それは白人の独裁的な体制によるもので、黒人の民主的な権利を奪っているものだ。つまり白人大国アメリカは、ファシズムの国だ。

これはアメリカの建前と、大きく違っている。アメリカは、1950年代のアメリカのイメージをまだ1960年代当時には持っていただろう。それはアメリカン・ドリームと呼ばれた。誰もが選挙に行き、マイホームとマイカーを持ち、父と母と子供の家族からなり、コテージを持ち、労働組合はしっかりしていて、そのため福利厚生がしっかり保証されている。それが、アメリカの建前だった。

ところが、アメリカの本音の部分はどうだろう? それは黒人やプエルトリコやホワイト・トラッシュと呼ばれる白人貧困層を抱えて、その人たちには福利厚生は何もなく、大学にもろくに行けないような状況に置かれていた。

そのような状況の中で、フレッド・ハンプトンはすべての虐げられた人たちのために闘っていた。無料の食事、無償の診療所、無料の解放学級、無料の法律相談。それらがブラック・パンサー党が、ファシスト国家であるアメリカと闘う手段だった。

映画の中で、FBIの捜査官ロイ・ミッチェルは言う。「ビル、ブラック・パンサー党はクー・クラックス・クランみたいな暴力集団だ」と。ブラック・パンサー党は、確かに警察と銃撃戦を行った。”FBIのスパイである党員”が、党員をFBIのネズミだと言って殺したこともあったらしい。

しかし、ブラック・パンサー党の目的は、無料の福利厚生や教育であったのは事実だ。映画の中でフレッド・ハンプトンは明確に、「資本主義には社会主義で」と語る。なぜなら社会主義は、無料で教育や福利厚生を行うからだ。

この映画はビル・オニールに焦点をあてて、その彼の行動を裏切りのスパイ活動のスリリングさとして描いている。それが、この映画で目の行きやすいところだ。しかし、この映画が語っているのは実現可能な行動であることも忘れてはならない。

「人々は力だ」。