黒人の歴史

映画「キャンディマン(原題:Candyman)」を観た。

この映画は2021年のアメリカ映画で、映画のジャンルはホラーだ。

この映画の舞台は、2019年のアメリカのシカゴだ。シカゴにはどの都市とも同じように、貧民窟=スラム街がある。この映画に登場するシカゴのスラムの地区は、カブリーニ・グリーンという。

カブリーニ・グリーンには伝説があった。それは、鏡に向かって「キャンディマン」と5回唱えると、鏡からキャンディマンという、右手がかぎ爪になった殺人鬼が現れて、そのキャンディマンに体を引き裂かれるという伝説だ。

その伝説を2019年に蘇らせたのが、アンソニー・マッコイという黒人男性の交際相手であるブリアナの弟のトロイだ。トロイはある時、アンソニーと姉のブリアナを恐がらせようと、ゲイの恋人のグレイディとも一緒にいる時に、キャンディマンの話をする。

その話の後に、アンソニーが「キャンディマン」と5回唱えると、鏡の中に何か黒人の人の影のようなものが、ぼんやりと浮かび上がる。ただ、アンソニーは無傷で、その鏡の中の主に切り裂かれることはない。

ただ、アンソニーが「キャンディマン」と5回唱えた後から、アンソニーの体に異変が起き始める。アンソニーの右手の皮膚ひび割れてくる。この描写は映画「ザ・フライ」を連想させる。

映画「ザ・フライ」では、天才科学者セス・ブランドルが、転送マシーンに入り込んだハエと一緒に、転送先のポッドに転送されて、ハエ人間になっていく。その結果、セスはハエに脱皮するのだが、その描写が映画「キャンディマン」のアンソニーの右腕の変化と似ている。

アンソニーは黒人の芸術家だ。彼の個展に来ている、芸術の批評家の白人女性に、アンソニーは自分の作品の解説をする。すると女性はこう答える。「あなたたち芸術家は働かない社会のクズよ。高級化する前のスラムの時代から同じね。今は高級化しているけど、スラムがあった時から、そのスラムの公営住宅で黒人は働かずに安く住居を得ることができた。黒人は怠け者なのよ」と。

それに対してアンソニーはこう答える。「最初はこう言われる。君は黒人じゃない、白人だ。それに芸術家だと。そして、その後安く住める地域に芸術家は引っ越す。だけど、2年後には高級スーパーに通うようになる」と。

白人の批評家の女性を口説こうとして、アンソニーは自分の作品の解説を始めた。しかし、白人の批評家はどうやら白人至上主義者に片足を突っ込んでいる様子で、黒人を平然とけなす。それに対してアンソニーは、今はシカゴでしか売れないが、すぐに世界的な芸術家になると答える。

奴隷制は、世界的に昔から見られるものだ。その代表的な例が、アメリカ黒人の奴隷だ。アメリカ黒人は、アフリカにルーツを持つ。16世紀ヨーロッパの貿易商が、西アフリカからアフリカ人奴隷を購入して、ヨーロッパの植民地であったアメリカに、アフリカ系の黒人奴隷を輸送した。

黒人奴隷を捕まえて、輸送して、アメリカで働かせて、黒人奴隷が死ぬまで、黒人奴隷は人として扱われなかった。輸送中の船の中では、不衛生な状態で、黒人奴隷は死に、船から飛び降りて死を選ぶ黒人奴隷もいた。

アメリカに着くと、肉体労働をやらされて、住居は掘っ立て小屋で、隔離した環境で住まわされ、逆らえば鞭で打たれ、白人の主人にレイプされて、白人との間の子供を何人も産まされ、逃げ出す者は、殺され、木につるされた。

アメリカでの奴隷制から抜け出すために、夜中に黒人奴隷の一部は、北極星を目指して、地下鉄道と呼ばれるルートを、教会の地下などを隠れ家として、カナダに向かって逃げた。教会地下室のことについては、映画「魂のゆくえ」でも登場する。

また、アメリカの農場での黒人の搾取、殺人の様子は映画「それでも夜は明ける」に詳しく描かれている。黒人は奴隷としてアフリカから連れてこられて、到着地アメリカで人間としては扱われなかった。

その黒人の奴隷としての歴史が、そして今もなお黒人は警察にひどく差別されている現状が、この映画「キャンディマン」の背景になっている。キャンディマンは、黒人の白人への復讐心が現前したものだと。

映画「キャンディマン」の中には、シャーマン・フィールズという男が、無実の罪で警官に処刑される様子が出てくる。シャーマンは右手がなくて、障害者用の義手をしている。

シャーマンを見て、悲鳴を上げた少年の声を聴いた警官が、シャーマンを見つけると逮捕せずにその場でリンチにして殺す。それは映画の中では、1977年のこととして描かれている。そしてそのシャーマンが殺されたのが、カブリーニ・グリーンだ。

アメリカでは、1960年代まで、差別すれども平等と言われる、人種隔離政策がとられていた。黒人と白人の住む地域は別、黒人と白人は同じトイレを使わない、バスには黒人用の席と白人用の席がある、黒人は貧困の状態が当たり前で、白人のような職にはつけない。

法的に黒人の差別が終わったのは、1964年の公民権法の制定だ。それまでには、黒人の権利獲得のために、黒人による権利獲得のための運動が行われてきた。マーチン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコムX、モハメド・アリローザ・パークス等の人物がその黒人に権利をもたらす公民権運動の最中に有名になった人物だ。

もちろん黒人の権利獲得のために戦ったのは、彼らだけではない。多くの黒人が、自らの権利の獲得のために戦った。そして、法的には権利を獲得した。だがだ、黒人の差別は未だなお続いている。

それは、この「キャンディマン」という映画の最後でも示される。2020年の5月25日に、アメリカで警官により、ジョージ・フロイドという黒人の青年が殺された。彼は、警察に偽札を使用したという嫌疑により取り押さえられ、その際に地面に無理やり抑えつけられ、「息ができない」という言葉を残して死んでいった。

アメリカの黒人は、嫌疑だけで殺されるのが現状だ。アメリカ警察の黒人への差別はずっと続いていて、黒人と見れば、その場で黒人であるという理由で立ち止まらせ、頭の後ろで手を組ませ、車等に身体を押さえつけて、持ち物検査をされる。黒人というだけで。

この映画「キャンディマン」を観ていると、黒人が今なお置かれている現状が見えてくる。1960年代に法的には、権利を獲得したが、アメリカ社会に残る古くからの因習によって、今なお黒人は理由なく苦しめられている。

習慣は、なかなか人の社会から消えないという。それが、今のアメリカが示していることだ。アメリカから本当に差別がなくなるまで、人々は連帯し立ち上がり続けなければならない。差別が本当に終わるまで。