異端者を排除せよ!!

映画「怒りの日(原題:Vredens dag)」を観た。

この映画は1943年のデンマーク映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の主な登場人物は、魔女裁判を受けるヘアロフス・マーテ、魔女裁判を取り仕切る一人のアプロサン、アプロサンの妻アンネ、アプロサンの息子マーチン、アプロサンの母親、アプロサンの同僚ラウレンティウスだ。

この映画は、キリスト教が浸透しているキリスト教圏で行われた、キリスト教以外の宗教を排除するために行われた、キリスト教にとっての異端排除のための宗教裁判である魔女裁判を主なテーマとした映画だ。

そしてこの映画で描かれるのは、キリスト教による魔女裁判と、女性の主体性のなさ、つまり女性差別についてだ。

この映画の舞台となっている18世紀のデンマークでは、魔女狩りと同時に、女性への差別的な扱いがまだまだ色濃くあった。女性は、男性の所有物で、女性は自分の意思とは関係なしに結婚するのは当たり前というのが、当時のデンマークだった。

魔女裁判では、キリスト教の牧師たちが魔女と決めた主に女性が、魔女として火あぶりの刑にされた。この映画のタイトルにある“怒りの日”というのは、キリスト教で言われる最後の審判のことだ。

最後の審判の日には、それまでに死んでいた人も復活し、神により審判を受けて、地獄と天国に振り分けわれる。しかし、火あぶりの刑にされた者は、その復活の権利が認められない。つまり、火あぶりの刑になったものは、審判のための復活ができない。

この映画で火あぶりの刑にされる女性ヘアロフス・マーテは、復活ができないことより、火あぶりの刑になることを恐れている。ヘアロフスは何度も牧師たちに命乞いをする。しかし、牧師たちはヘアロフスの信仰を改めろと、その懇願を聴き入れはしない。

とうとう、牧師たちは、ヘアロフスが音を上げると、次は他の魔女の名前を言えと、ヘアロフスを拷問にかける。牧師たちは、ヘアロフスを助ける気はない。キリスト教の存在を脅かす異端を排除するために、牧師たちは容赦なくヘアロフスを火あぶりにする。

ヘアロフスは、魔女の名を上げて死んでいく。その魔女とは、アプサロンの歳の離れた妻のアンネの母親のことだ。アプサロンはアンネの母親が異端者であったが、アンネの母親を助けている。そのことをヘアロフスは知っていた。

アンネの母親をなぜアプサロンが助けたのかは、映画の中で明示されない。おそらく若くて美しいアンネを妻にするために、アプサロンはアンネの母親が異端であることを見逃したのだろう。色欲のために、アンネを無害な人物とするため、アンネの母親の異端を見逃したのだ。

先ほど言ったように、17世紀の女性に自由はない。男の意思で結婚させられ、自分の意思で生きることなどできない。それは、当然、異端の母親を持つアンネでも同じことが言える。

異端者はキリスト教的な、結婚の概念とは違うものを持ち、そのキリスト教とは異なった結婚の価値観を実行に移す者もいたのかもしれない。魔女として一人で生きる女性などは、キリスト教の結婚の規定からは外れていて、より自由な生き方をしていたのかもしれない。

アンネも、異端の女性として描かれている。それは、主にアンネの恋愛についてだ。アンネは、アプサロンの妻であるが、アプサロンは老いていて、セックスに関しては、あまり興味がない。きっとアプサロンは、勃起しない男だ。もしかしたら、女性よりも男性が好きなのかもしれない。それとも、キリスト教への帰依のために、性欲への関心が薄れているのかもしれない。

アンネは若い。性欲に溢れている。だいたいの若者と同じように。それなのに、アプサロンはアンネとセックスしようとしない。アプサロンの性欲は、薄れている。アンネは自分の性欲を満たすために、アプサロンの息子のマーチンとセックスをする関係になる。

このアンネの行動が異端者のものとして、映画では描かれることになる。しかし、それは、追いつめられた女性の性欲の在り方としては、悲劇的ながらもごく当然のこととして、映画を観る者はとらえることができる。

異端者は、キリスト教徒は異なった生き方をする。それが、キリスト教者には許せない。特にキリスト教の権力者にとっては、異端の存在は自らの地位を脅かすものとして映ったのだろう。きっと、キリスト教の上位者は、異端者の施す医療や生き方の合理性を知っていたのではないか? だから余計に、キリスト教上位者は、異端者の存在を恐れていたのではないのか?

魔女裁判は、異端者尋問をルーツとしている。つまり、魔女と異端者は重なる。異端者から魔女は派生した。そして、この映画が作られた1943年当時、異端尋問と似たようなことが起こっていた。

それはナチスドイツによる、ユダヤ人狩りだ。鉤鼻で、髪の黒い人間を集めて、ユダヤ人と呼び、ユダヤ人を殺す。ユダヤ人と同時に、障害者や、同性愛者を殺す。優性思想と言われるものだ。

優性学とは、広辞苑によると、「人類の遺伝子的素質を改善することを目的とし、悪質の遺伝子形質を淘汰し、良質なものを保存することを研究する学問」だ。人を優れたものと、優れてないものに差別して、さらに劣勢なものを排除してくという思想背景が、優性学にはある。

ユダヤ人差別も、何の根拠もないのに、優性学的な判断が下されて、人間を大量虐殺するという行為が行われた、実際の事件だ。そして、このユダヤ人差別は、11世紀から現代に続く異端審問、魔女狩りと重なる。

そして、この映画のアンネという存在は、ユダヤ人狩りをする当時のナチスドイツを、告発する。そう、この映画は、17世紀の魔女狩りを描いた映画というだけでなく、その当時実際にヨーロッパで進行していたユダヤ人狩りを告発する映画でもある。

デンマークは、ナチスドイツのユダヤ人狩りに、積極的に抵抗しようとした、唯一の被占領国だと言われている。そのデンマークだったからこそ、この「怒りの日」という映画は作られたのだろう。

ちなみに魔女狩りは、現在のサウジアラビアや、カメルーンで行われているとwikiにはある。そのwikiのリンクによると、2012年1月10日のニュースhttps://web.archive.org/web/20120110161629/http://www.saudigazette.com.sa/index.cfm?method=home.regcon&contentID=2009110453524&archiveissuedate=04%2F11%2F2009では、サウジアラビアのマッカ―という場所で、魔術を実践したとか、アラーの本を侮蔑的な方法で使用したということで、118人が拘留されて、そのうち74%が女性だったとある。

これは、異端審問と魔女狩りと差別の問題だ。このようなことが今現在でも世界では行われている。このような事実を見過ごして生きることは、自分も魔女裁判に加担しているのと同じことだ。