映画「アレクサンドリア(原題:Agora)」を観た。
この映画は2009年のスペイン映画で、映画のジャンルは歴史ドラマ映画だ。
この映画の舞台は、紀元391年の頃のローマ帝国の支配下にあるエジプトのアレクサンドリアだ。この映画の主要な登場人物は、3人いる。一人は天文学者のヒュパティア。ヒュパティアの生徒で後のアレクサンドリアの長官となるオレステス。そしてヒュパティアの奴隷であり後に奴隷から解放されるダオスだ。
この映画の背景には異教徒と、キリスト教徒、そしてキリスト教徒が新約聖書を信仰するのに対して旧約聖書を信仰するユダヤ教徒の対立がある。ローマ帝国はキリスト教からして異教徒の宗教、つまり様々な神を信じる宗教を持つ。
ローマ帝国の宗教を異教徒と言ってしまうのは、キリスト教からの視点が中心になっていることが原因だ。なぜならローマ帝国の多神教を中心軸として見れば、キリスト教こそ新興宗教の異教であるということになるからだ。
この映画では、キリスト教が勢力を拡大していく様子が描かれる。キリスト教徒とユダヤ教徒がローマ帝国の信仰する多神教の宗教を排除して、その次にキリスト教徒がユダヤ教徒を排除する。
そしてそのキリスト教による異教徒の排除と並行して描かれるのが、天文学者ヒュパティアの学者としての発見の物語だ。ヒュパティアは地球が太陽の周りを楕円形を描いて公転していることを、映画の最後で突き止める。
地球が太陽の周りを公転しているという事実を最初に言い出したのは、ヒュパティアよりも先の学者だったが、その公転の軌道が楕円形であることを発見したのはヒュパティアだった。映画の中で、ヒュパティアは砂の上に楕円の現在も書籍などで知られる描き方で楕円を描き、太陽の公転の軌道を示す。
地位的に見ると、ヒュパティアは上流階級の身分だ。オレステスも同じく上流階級だ。そしてダオスは前述したように奴隷だ。そしてキリスト教の勢力の拡大に乗じてダオスは奴隷の身分から解放されて、キリスト教の兵士のような役割に就くことになる。
ダオスはキリスト教の勢力拡大に乗じて、奴隷の身分から解放される。それはその他の奴隷にとってもそうだった。ローマの多神教の街を、キリスト教徒がのっとっていく。するとローマの多神教が理由になっていた社会上でのランク付けが、その力を弱めることになる。
ヒュパティアはローマの多神教の体制の下で、学者として生活をしていたので異教徒だ。オレステスはキリスト教が勢力を拡大してくことによってキリスト教の洗礼を受けるが、元は異教徒であった。ダオスはキリスト教の勢力拡大に乗じる形でキリスト教徒になる。
宗教が社会的地位を決める。学者は宗教を越えて、社会的に優位な地位に立つと考えられる。しかしやがて時が来れば、キリスト教徒でないものは難癖をつけられて殺される。それがこのアレクサンドリアの在り方だった。
多くの神を信仰するローマの神と、一人の神を信仰するユダヤ教と、特にキリストを信仰するキリスト教徒では宗教的に対立してしまう。互いに互いを排除してしまう。多神教が気に入らない、ユダヤとキリストの神の信者たち。旧約聖書を聖典とするユダヤ教徒と、新約聖書を聖典とするキリスト教徒。その溝は、映画中深まっていく。
この溝は、歴史的な失敗だろう。誰もが信じるものを、自由に決めることができる。それが人を人として尊重する社会の在り方だ。その在り方に最後まで誠実なのはヒュパティアだ。ヒュパティアは人としての尊厳を誇示しながら死んでいく。しかし、それは悲劇でもあるのだが、だがヒュパティアの勝利でもある。