黒人に対する愛憎

映画「ジャズ・シンガー(原題:The Jazz Singer)」を観た。

この映画は1927年のアメリカ映画で、映画のジャンルは音楽ドラマ映画だ。

この映画の主人公はジェイキー・ラビノウィッツという男性だ。ジェイキーはユダヤ人の子供として、ユダヤ教の祭事の際に聖歌を歌う先唱役の家に生まれた。ジェイキーの父は子供が自分の家業を継ぐのが当然だと考えている。

しかし、ジェイキーは当時流行していた黒人音楽であるラグ・タイムに夢中になっていた。ジェイキーは自分の好きな音楽と父の勧める音楽との間のギャップに苦悩する。ジェイキーは黒人音楽が大好きだったのだ。

ジェイキーがユダヤ人街の酒場で、ラグ・タイムを歌っていると知人から聞いた父は、ジェイキーを鞭で打つ。その仕打ちは、黒人が奴隷制の下で強制労働させられていたという事実を軽くではあるが連想させる。

ジェイキーは大人になり、ジャック・ロビンと名乗ってジャズ・シンガーとして成長している。ジャズ・シンガーとしての修行の最中に出会うのが、メアリー・デイルという女性で、二人は恋に落ちる。

ジェイキーの歌声を聞いたメアリーはジェイキーにこう言う。「あなたの歌声には悲しみがある」と。前述した黒人奴隷制との関連、黒人奴隷が鞭で打たれて、南部の農場で働かされている状況との関連がここで暗に示される。

ジェイキーは家で少年で、父に幼いころから鞭で打たれていたという事実と、黒人奴隷が人身売買により親と子が引き離されて売り飛ばされ、白人の奴隷主に逆らえば鞭で打たれていたという奴隷制のあった時代との共通点が、「悲しみ」という言葉で表現されている。

しかし、親のしつけと、奴隷の虐待は違う。しかし、鞭打ちという親のしつけもどうにかしているが。この映画は、白人が黒人の音楽であるジャズを愛好し演奏するという映画だ。白人が自らが不利になるような状況解説を映画で行うとは思えない。

実際、黒人の奴隷制の厳しさを表現する言葉はこの映画の中では、メアリーの言葉にしか読み取ることができない。この映画のブルーレイの特典には、ジェイキーが劇中劇でジャズを歌うシーンが観ることができる。

その歌の歌詞は「つらいことがあっても、お花畑を歩けばつらいことなんて忘れる」といったものだ。黒人が奴隷制の下でハッピーでしたと言わんばかりの歌詞なのだ。いくら白人が肌を黒人に似せて黒く塗ってジャズを歌っても、それは白人の思い違いでしかない。

またブルーレイの特典には「I Love to Singa」というアニメがついている。の短編アニメは、クラシック音楽の教師をしている父親のもとにジャズ好きな子供が生まれるといったものだ。

この家族は梟の家族なのだが、子供がジャズを歌うと父親が怒って無理やり子供にクラシックを歌わせるといったものだ。そこで父親の梟は子供に向かってこんなようなことを言う。「ジャズなんて甘ったるい音楽はだめだ」。

つまり父親梟はジャズは卑猥な音楽なので子供が歌うもんじゃないと言っているのだ。ここでジャズの当時の受け取られ方がわかる。ジャズはいわゆる不良の聴く音楽なのだ。

ジャズを歌うと罰する。しかし、ジャズは白人の間で流行している。この矛盾がこの映画や当時のフィルムから見て取ることができる。

映画のラストで主人公はエンターテイメントという新しい宗教と、ユダヤ教という古い宗教の間での二者択一の選択を迫られることになる。そして主人公のジェイキーが出す答えは二者択一なんてくだらないといったものだ。

正しいか否かの二者択一。この正しいかのような問題設定自体が、実はとても奇妙なものなのだ。正しいか間違いか。白か黒か。そのような線引きなどくだらないものだとこの映画の主人公は辛くも示している。