疑心暗鬼と憧れの肉体

映画「ゲット・アウト(原題:Get Out)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画だ。この映画は、人々の内にある他者への憧れを描いた映画だ。この映画の中にある対立は白人と黒人との対立であり、この対立を逆手にとって映画は作られているといえる。

黒人の青年クリス・ワシントンと白人の女性ローズ・アーミテージは付き合っている。クリスはローズに家族に紹介したいと言われて、渋々ながらローズの家に行く。なぜクリスはローズの家に渋々行くのか?

それはクリスが白人と黒人との状況について悲観的なイメージを持っているからだ。その悲観的なイメージとは、白人たちが黒人を差別しているというイメージだ。否、このイメージは空想ではなくクリスにとっては現実かもしれない。

なぜなら周囲の環境の中で人間が自らの中に作り上げる想像物は、それをあたかも現実であるかのように思わせるからだ。クリスにとっての想像物とは白人による黒人の差別のことだ。

映画を観る人は主人公のクリスの立場で、映画を観ることになる。クリスの立場とは、黒人を差別する白人たちに怯える黒人というものだ。クリスの想像物とは黒人差別のことだ。またこうも言えるかもしれない。

クリスは白人たちが黒人を差別する人種であるという差別の視点を白人たちに向けていると。

この映画を観終わった後に連想されるのは「マルコヴィッチの穴」という映画だ。「マルコヴィッチの穴」では、永遠に生き続けることを望む人間たちが、若い人間の体の中に入り込んで生き続けるという映画だ。

人が自らの命のために他人の体を従属させ、他人の体を利用して生き続けると言うのが「マルコヴィッチの穴」という映画だった。この映画「ゲット・アウト」とは「マルコヴィッチの穴」の発想を受け継いだ映画だということができる。

ゲット・アウト」の中に登場する白人の老人たちは若い黒人の体に憧れを持っている。クリスは白人たちが黒人を差別していると思っているが、実はある一面として白人たちは黒人たちを羨望している。

しかしその白人の持つ憧れは捩れた憧れだ。なぜなら年老いた白人たちは、黒人の体を自らの欲望のための道具としてしか見ていないからだ。この映画の中には黒人に憧れるがゆえに黒人を傷つけてしまうというアンヴィヴァレントな白人の態度が現れている。

そしてそれは映画の中だけの話なのだろうか?