通過儀礼を通って

映画「ヘヴィ・トリップ 俺たち崖っぷち北欧メタル(原題:Hevi reissue)」を観た。

この映画は2018年のフィンランドノルウェー合作映画で、映画のジャンルはコメディ映画だ。

この映画の主人公は、トゥロという白人男性だ。トゥロはメタル・バンドのヴォーカルだ。トゥロがヴォーカルを務めるバンドのメンバーは他に、ギターのロットヴォネン、ベースのパシ、ドラムのユンキだ。

この4人はバンドの名前も決めずに、12年間メタルのカバーをやってきたバンドのメンバーだ。ただトゥロたちは頭で考え過ぎて行動に移すこと、特に人前に出ることが苦手だ。テクニックは十分あるのに、他人に見せようという気があまりないというか、他人に見てもらうのが怖いのだろう。

頭の中でメタルとは何かを考えているだけで、メタルの新しい部分となる曲を作り出そうとしないのが、このトゥロたち4人だ。要は簡単に言ってしまえば、トゥロたちは通過儀礼を通っていないのだ。

つまりまだ大人になっていない。この映画の場合、大人になるための通過儀礼として出てくるのが、周囲の承認からの解脱、自分の限界の克服、近親者の死、ルールの線を踏むことなどだ。

トゥロたちのメタル・バンドはノルウェーで開かれる音楽フェスに出ることになるのだが、そのフェスに出るまでにこれらのような過程を通過していく。つまり大人になっていくのだ。

映画中に前述したようにバンドの近親者、つまりユンキが死に、その代わりにバンドメンバーとしてトゥロの勤めている精神病院の若者であるオウラがバンドにドラムとして加わることになる。そしてその時までには、バンド名がインペイルド・レクタムImpaled Rektum(突き刺された直腸)に決まっている。

オウラはラップランド人だ。ラップランドに住むラップの人たちは北欧に住む白人の人たちに住む土地を追われた人たちだ。精神病院に異常者として隔離されているオウラは、ラップの人たちの象徴だ。

白人に迫害されて精神を病んでしまったように、オウラは見える。(本当はオウラは狂ってはいないのかもしれない。ただ白人文化が狂人としてネーミングしただけかもしれない。)

映画中トゥロは町の若者にホモと呼ばれることに対して、反応に困っている。しかし、トゥロは映画の終盤で、自分の中にあるホモな部分と折り合いをつける。自分をホモと呼んだ若者にキスをするのだ。これがトゥロの決意だ。

つまり俺は周囲の目は気にしない。ホモ、それを一つの生き方として俺は肯定するぞと。

メタル・バンドは犯罪者というわけではないが、この映画では、大人になることをある種のルールからの逸脱として描いているのだ。