既存から未知へ

映画「サバ―ビコン 仮面を被った街(原題:Suburbicon)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画で、とある白人至上主義の街に住む家族を描いた物語だ。

この映画の日本語タイトルの副題には「仮面を被った街」とある。この仮面を被った街というのは映画の舞台となっているサバ―ビコンという白人至上主義の白人から構成される街だ。

仮面とは白人至上主義の上での正義という偽善のことを指していると考えられる。つまり、サバ―ビコンとは名目上は楽しい豊かな街という建前を持っているが、裏を返せば、白人以外の人種を排除しようとするダークな面が見える。

この映画の中心となる家族は、ガードナー・ロッジを家長とする一家だ。そして、この一家の隣に引っ越して来るマイヤーズ家もこの映画の一側面を描く題材となっている。

この映画の筋を簡単に言ってしまうとこうだ。

この映画は保険金詐欺を描いた映画で、その保険金詐欺をしている白人の家の隣には、黒人のマイヤーズ家が引っ越して来ると。つまり白人を象徴するのがガードナーを家長とする家族で、黒人の勇気を象徴するのがマイヤーズ家だ。

この映画の中で信頼できる大人は出て来ない。信頼できそうなのは、ガードナーの息子のニッキーと、隣のマイヤーズ家の息子アンディだけだ。後の大人は、みんな大人の世界、つまり白人至上主義が支配する矛盾に満ちた世界の住人だ。

ただ子供たちだけが、この大人の世界に入る手前にいて、まだこの腐った世界から救出可能のように見える。

この映画は単純な家族映画に見せかけて、セックス、ドラッグ、バイオレンスに満ちた映画でもある。子供が銃を構え、父親がバールを振り回し、叔母は食事に薬を混ぜる。崩壊した家庭の建前上の成立がこの映画では描かれている。

ただ腐敗した大人の世界を変えてくれそうな存在もいる。それは、黒人一家だ。ただこの映画の両親は、差別という抑圧のために感情を押し殺してはいるが。

子供は純粋で、大人は汚れているというのは非常に単純でありふれた図式だ。子供が罪を持たないというのは、時と場合によっては例外もあり得る。しかし、差別を実際に能動的に主体的に強く押し出すのは、子供ではなく大人だ。

大人の世界にこそ変化が必要とされているのが、この映画の中で描かれている世界だ。善良なアメリカ人のイメージは、白人至上主義のアメリカと完全に重なってはいないか?その重なりをずらしていくのが、これからの時代に生きる人々の役割だ。