人間のどす黒さ

映画「マルタの鷹(原題:The Maltese Falcon)」を観た。

この映画は1941年のアメリカ映画で、映画のジャンルはミステリー映画だ。

この映画のタイトルにあるマルタとは、実際に地中海にある島のことだ。この島はマルタ共和国の領地で、イタリアの長く南西に伸びた半島の先にこの島は存在する。

この映画の中でマルタ島はどのように登場するのか?時は、十字軍運動が行われていた11~13世紀のヨーロッパに遡る。十字軍の騎士たちが、マルタ島を領地内に治めた時に、マルタの王は、十字軍の支配者であるスペイン皇帝に貢物を出した。その貢物の残骸が、マルタの鷹という黒い鷹の彫像だ。

その鷹は現在(1941年)でも価値を持ち、その宝を手に入れようとする者たちがいる。その宝の争奪戦がこの映画の中心となっている。

皆さんのご存じの通り、この世界は基本として貨幣というものから成り立っている。世の中の基本はお金だ。お金がなければ食事も住居も衣服も得られない。お金は世の中を成り立たせている基本だ。

1960年代に世界中でヒッピー運動が起こった。ヒッピーの文化は資本主義世界から脱して、自給自足の生活をしようとしてコミューンという共同体をつくった。実際、ヒッピーが自立した生活をできたのはわずかな場所にとどまったようだが、資本主義社会つまり貨幣経済にたてついたのがヒッピー文化だった。

ヒッピーはお金が嫌だ。なぜヒッピーはお金嫌いなのか?それは、お金の支配力があまりに強大だからだ。1960年代の若者たちは、社会からドロップアウトした。それは若者たちが、大人たちが作り上げた、お金から成り立つ世界のどす黒さを見たからだろう。

そのどす黒さをよく表しているのが、この映画でもある。マルタの鷹という財産を巡って、人間たちが織り成す物語。そこでは愛さえもお金に支配される。

がしかし、愛がお金から自立しているというこの思考こそ1960年代にヒッピーたちが普及させたものなのかもしれない。ヒッピーたちはどうしてもお金に支配されない愛というものを存在させたがった。

お金なしの社会で共有されるものは愛で、愛はすべての人々の間を行きかう無限のもの。それがラブ・アンド・ピースなのだろう。

しかし、愛は実際は限定的で利己的だった。愛とは何なのだろうか?それは早い話がリビドーだろう。ある人の近くにいたいという感覚、それがリビドーだ。美しいものが中心となるのではないリビドーとは一体どんなものだろうかと思いをはせながら。