強盗をなくしたいなら、お金持ちは再分配をしろ!!

映画「明日に向かって撃て!(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)」を観た。

この映画は1969年のアメリカ映画で、映画のジャンルはアウトロー・ガンアクション・西部劇だ。

この映画の舞台は、西部開拓時代から20世紀初頭だ。この映画はこの時代に実在した、列車や銀行の強盗を行っていたアウトローをモデルとして作られている。そのアウトローとは、ブッチ・キャシディと、サンダンス・キッドだ。

このアウトロー2人の名前は、偽名で、本名は別にある。ブッチ・キャシディの本名は、ロバート・レロイ・パーカーで、サンダンス・キッドの本名は、ハリー・アロンゾ・ロンガボーだ。

映画はこの2人が、列車強盗を、壁の穴強盗団の一員として行っているところから始まる。ブッチは、この壁の穴強盗団のリーダーで、キッドは、腕の立つ早撃ちガンマンとして、ブッチの相棒をやっている。

2人による強盗事件は、新聞に載って世間的に有名になっている。映画には壁の穴強盗団のメンバーが新聞を、他の強盗団のメンバーに新聞を読んで聞かせるシーンがある。その新聞の記事に、ブッチは満足そうだ。

強盗で盗んだ金を、ブッチは賭け事や売春婦に遣う。それで、強盗した金をすっからかんにしてしまい、また次の強盗を行う。キッドには恋人がいる。恋人の名前は、エッタ・ブレイズと言う。エッタは女教師で、スペイン語が話せる。

ワイオミングから、ボリビアに逃げる際に、エッタは、ブッチとキッドに、スペイン語を教える。ボリビアで生活するにも、ボリビアで銀行強盗するにも、スペイン語が話せることが必要になるからだ。

ブッチとキッドの会話は、真面目なようで、どこか冗談めいている。シリアスな場面も、2人のウィットの効いた会話で、映画を、観ている方は、クスっと笑ってしまう。それがこの映画の魅力にもなっている。

ブッチとキッドは、強盗を何度も繰り返している。この映画のアメリカでの列車強盗の対象となっている鉄道会社は、ユニオン・パシフィック社だ。強盗をするたびに、同じ金庫番が乗っていて「私はハリマン社長に雇われてこの金庫を守っている」と言う。

2人の方と言えば、その金庫番の怪我を気にしながら、列車強盗の爆弾を仕掛ける。そこも観ていて面白い。ブッチとキッドは、映画中ではできれば誰も傷つけずに列車強盗を行いたい。ブッチとキッドは、むやみやたらに殺人を楽しむタイプではない。

ブッチとキッドの精神的な、もしくは生活的な支えになっているのが、エッタだ。エッタは、2人のことをとても気に入っている様子だ。特に、キッドとエッタは仲が良いというか、付き合っている。ただ、ブッチともエッタは仲が良い。

ウィキペディアで調べると、エッタ・プレイスは、未だに謎が多い人物だ。この人がエッタの正体ではないかという人物が何人か登場する。エッタは、教養もあり、洗練された人柄で、学校の教師をしていて、結婚もしていて、2人の子供と夫を捨てたと、信じられているようだ。

エッタは謎の多い人物で、この映画でもエッタの登場シーンは少なく、エッタの身の上の話は出てこない。エッタはただブッチとキッドのことを、誰よりも気にかけている人物として、この映画の中に登場して、彼女の生い立ちや生活などは不明だ。

ただ、ブッチやキッドの生い立ちもこの映画ではあまり語られることがない。せいぜい、本名と、キッドが生まれたのがニュージャージーだったということがわかるくらいだ。

ウィキペディアを見ると、ブッチは、イングランド人の移民の、マキシミリアン・パーカーとアン・キャンベル・ギリーズの13人の子供のうちの最初の子供であったとある。ユタのブッチが育った家は、とても小さく、決して金持ちというわけではなかったようだ。

同じく、ウィキペディアでキッドのことを調べると、キッドはペンシルべニアのモント・クラレ出身で、ブッチと同じように牧場で働いていたようだ。映画中で、キッドは「俺はニュージャージーの街で生まれたんだ、ボリビアなんていう田舎は嫌だ!!」というようなセリフを吐くが、この辺は、ボリビアの田舎加減が気に入らなかったキッドの戯言として片づけることができそうだ。

2人とも牧場で働いていたということが共通するのだが、映画中でブッチは「この歳だ。強盗をやめて他の仕事を見つけようとしても無理だし、畑仕事はきつい」という。ブッチもキッドも、苦労して生活をする気がなかった。

金持ちと同じように肉体的に楽な仕事をしたかったのだろう。牧場の仕事はきつい。ましてや畑仕事なんてやってられない。俺も、金持ちのように楽をして、お金を遣って生きたい。それがブッチやキッドの願いだったのだろう。

ただ、映画を観ている方は、2人の反逆者ぶりに引き込まれる。強盗して、遊んで、強盗しての繰り返し。その危ない生き方に、映画を観ている方は引き込まれてしまう。2人が、貧しい生まれで、法を犯すほど、映画は面白くなるかのようだ。

アウトロー。法の外で生きる人たち。法の矛盾が人々の前に立ちはだかるほど、人々のアウトローへの憧れは強くなる。健康で文化的な最低限度の生活を保障すると謳われている、憲法が違反された状態の今の日本の社会でも、2人のアウトローの姿は魅力的に映る。

憲法を尊守するはずの政府が、その約束を果たしていない時、憲法の効果を訴えるために、憲法の下位にある法制度を犯して、人のためにつくす。例えばそれも、アウトローのひとつのありかたなのかもしれない。

ただ、ここで法を犯すことをすすめたいわけではない。アウトローは、やむおえない理由で行きつくものだということは、言えるのではないか? 楽しくて楽しくてしょうがなくてアウトローをしているのではないということが、この映画「明日に向かって撃て!」では、言えるのではないか。それは、この映画を観て、ブッチやキッドの生い立ちを知った時により明確になることだが。

確かに、アウトローをやっていて痛快なこともあるのかもしれないが、しかし、常にそこには金銭的な悩みがついてまわっているのが、この映画「明日に向かって撃て!」だ。

とすれば、2人を強盗の身分に追いやったのは誰か? それは、強盗の被害に遭っている金持ちたちだ。お金をどれだけ銀行が刷っても、そのお金はお金持ちの懐に入っていく。だから、貧困がなくならないどころか、経済格差が広がっていく。

格差がある所には、極端な金持ちと、困窮した人たちがいるということだ。そして、金持ちは、強盗団を作り出したくないのならば、再分配をするべきだ。