戦争の犠牲

映画「最前線物語(原題:The Big Red One)」を観た。

この映画は1980年のアメリカ映画で、第一次世界大戦の終わりから第二次世界大戦の終わりまでを描いた戦争映画である。

この映画の原題である“The Big Red One”とは、アメリカ軍の第一歩兵師団を指す言葉であり、この映画の中心人物である第一歩兵師団の軍曹であるポッサム軍曹とその4人の部下、グリフ・ジョンスン、ピンチ・ザブはこの第一歩兵師団の隊員である。

ポッサム軍曹率いる第一歩兵師団は、第二次世界大戦で、北アフリカ、イタリア、フランス、ベルギー、ドイツ、チェコスロバキアという土地で戦闘に参加する。この映画の最後の戦地は、チェコスロバキアのテレジーンであると思われる(テレジーンがあるのは現在のチェコである。1992年までチェコスロバキアという国が存在したが、その後チェコスロバキアチェコ共和国スロバキアに分離した)。

テレジーンには第二次世界大戦当時、テレジーン収容所と呼ばれるユダヤ人収容所が存在した。テレジーン収容所にはユダヤ人14万4000人が送られてきた。その4分の1である3万3000人が病気、飢え、過労、ドイツ兵による暴行や拷問や刑罰でテレジーンで亡くなり、8万8000人がアウシュビッツなどのユダヤ人虐殺を目的とした収容所で亡くなっている。

映画中テレジーンの焼却炉が出てくるが、その焼却炉の目的はテレジーンで亡くなった3万3000人のユダヤ人を焼却処分するための焼却炉である。

つまりテレジーンのユダヤ人たちはその劣悪な環境の中でガス室に送られるまでもなく、大量に殺されていたのである。

ポッサム軍曹はテレジーンの収容所で独りの少年を見つける。少年の喉には傷があり、そのせいか声は発さず、ポッサム軍曹の語りにも無口である。少年が何も話さないことが、この少年の置かれていた劣悪な環境を示しているようでもある。

ポッサム軍曹は言う。「君はユダヤ人か?ポーランド人?チェコ人?ロシア人?」。少年は相変わらずポッサム軍曹の問いかけには答えない。この問いかけに答えないこの少年は、どこの国の少年かはよくわからない。するとここに浮かび上がって来るのは“すべての戦争で被害を受けた子供たち”という言葉である。

テレジーンにはエルベ川とユーガー川の合流点に建築された要塞に由来する。ポッサム軍曹と少年は川の岸辺でオルゴールを鳴らし、少年はリンゴを食べる。川の流れは穏やかで美しい。水遊びにもってこいの川である。

しかし2人の背後にある看板にはチェコ語でこう書かれている。「水遊び禁止」。少年の身なりはボロボロ、そして汚れている。近くの川で洗えばいい?ダメだ。それは戦争が生んだ規則により禁止されているから。