戦争に正義はない

映画「プラトーン 特別編(原題:Platoon)」を観た。

この映画は1986年のアメリカ映画で、映画のジャンルは戦争映画だ。

この映画は1960年代を中心に十年以上続いたとされる、アジアのベトナムを南北に分けた戦争であるベトナム戦争をもとに、一人の大学を中退した志願兵の視点から、ベトナム戦争を描いた映画だ。

1960年代、ベトナムでは、アメリカをバックにしたサイゴン政権と、アメリカをバックとしたサイゴン政権に抵抗する北ベトナム南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)との戦争が、ベトナムを北と南に分けて行われていた。

これはアメリカ帝国主義に対する抵抗である。そして、もともとはベトナムはフランスの植民地であったことからも示されるように、植民地としてのベトナムの抵抗だ。ベトナム戦争での北ベトナム南ベトナムを合わせた推定戦死者は146万2000人、行方不明者は209万4000人、民間人死者は458万1000人で、実に813万7000人の人がベトナム戦争で死んだことになると言っていいだろう。

このベトナム戦争プラトーン(Platoon)、つまり”小隊”の視点から描いたのが、オリバー・ストーン監督だ。オリバー・ストーンは「ウォール街」「7月4日に生まれて」「ナチュラル・ボーン・キラーズ」「ブッシュ」などの映画を作ったことで知られる映画監督だ。

プラトーン」を作るとほぼ同時に、エルサルバドルでの内戦の様子を取り上げた映画「サルバドル/遥かなる日々」を、オリバー・ストーンは撮っている。「サルバドル」は、アメリカが中米に傀儡政権を建てて、その傀儡政権と現地民のゲリラとの闘いの残虐性を描いた映画だった。オリバー・ストーンは「サルバドル」でアメリカの帝国主義を描いた。

それと同時に撮られていたのが、これもアメリカの帝国主義を描く映画「プラトーン」だ。同時期に撮られていた「サルバドル」と「プラトーン」は、アメリカの帝国主義を描く映画となっている。「ウォール街」や「ブッシュ」なども、アメリカの帝国主義を描いている映画だと言っていい。オリバー・ストーンは、アメリカの帝国主義を映画にしてきた映画監督と言ってもいいのではないだろうか。

ベトナム戦争関連の映画として最近では、黒人監督であるスパイク・リー監督の「ザ・ファイブ・ブラッズ」がある。これも戦争の残虐さを描いた映画である。VARIETY誌のインタビューで、スパイク・リーは、マーティン・スコセッシオリバー・ストーンが在籍していた大学だから、僕はニュー・ヨーク大学に入ったと言っている。

ベトナム戦争を扱った映画で他に有名なのは、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」、マイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」がある。これらは戦争の精神的異常性、精神症的部分をも、描いた映画だ。

この映画「プラトーン」は、黒人差別、ユダヤ人差別、貧困、地方差別などを描いた映画とも言えるし、他にもドラッグ・カルチャーや、敵味方ない殺し合い、戦争の不条理さを描いた映画とも言える。

この映画の主人公は、クリス・テイラーという大学を中退してベトナム戦争に志願した兵士だ。テイラーは、ベトナム戦争に行かされているのは貧困にある人たちばかりだと言う。貧困にある人たちとは、黒人やユダヤ人や地方出身者のことだ。

そのような現状がおかしいと思ったテイラーのような白人のリッチな家の大学中退者がベトナム戦争に参加すると、参戦理由を聴いた黒人の兵士はこういう。「お前は変わり者だ。お前の家はリッチなんだろうな」と。

この映画は、ベトナム戦争の敵味方の区別がつかない残虐性を現わしている。これは実際にあったMy Lai massacreソンミ村虐殺事件のような事実と重なる所がある。オリバー・ストーンは、ベトナム戦争に参加していた。その監督が描くのが、そのような残虐シーンだ。

オリバー・ストーンは、ベトナム戦争に実際に参加していた。その監督が描くのが、敵味方ないただの殺し合いであり、虐殺だ。兵士は少女をレイプして、農民の男や女たちを殺し、食料をまき散らし、村を焼き払う。

村を焼き払うのは、北ベトナム側の兵士の補給基地に村がならないようにするためだ。そして戦場での憂さ晴らしと、性欲解消のために少女をレイプしようとする。そして、仲間の兵士が死んで、その事実が自分の精神をすり減らしていることを、ベトナム人のせいにしてベトナム人を殺す。

この映画の中で象徴的に描かれるのは、エリアスとバーンズという2人の軍曹の対立だ。エリアスは戦場に残ったわずかな良心の象徴であり、バーンズは死に直面して、一般的な死への配慮を忘れてしまった戦争の残虐性を象徴する存在だ。

ここで忘れてはならないのが、この社会全体にエリアスとバーンズのような人間は存在して、そして、戦争という現実の中の良心的部分であるエリアスは、バーンズに殺され、戦争の残虐性であるバーンズはエリアスを殺して生き延びているだろうということだ。

映画「プラトーン」のDVDのジャケットにも使われている、有名なこの映画の1シーンは、エリアスが死んでいく様子だ。エリアスはバーンズに撃たれて、その後北ベトナム兵に撃たれながら追われる。そして、エリアスは息絶える。天に両手を仰ぎながら。

敵味方のない殺し合いである戦争。その最もわかりやすい映画の中での例は、前線のアメリカ兵を砲撃するアメリカの戦闘機だろう。アメリカ人が、アメリカ人を殺す。そう、ベトナムが南北分かれて殺し合ったように。

アメリカの帝国主義アメリカはベトナムを侵略して、ベトナムアメリカのものとしようとした。その結果当然のように被植民地の現地民たちは怒り、自らゲリラを立ち上げた。アメリカという見せかけの民主主義国である軍事独裁国家と、現地民の戦い。

その勝敗を決定づけたのが、テト攻勢のフエ虐殺だ。フエ虐殺では、北ベトナム兵に、軍人だけでなくフエの市民が虐殺された。この事件を転機として、アメリカのベトナム戦争の敗戦は確実なものになっていった。アメリカは、ベトナム戦争に負けた。

戦争に正義はない。この北ベトナム側による虐殺により、アメリカは戦争に負けた。侵略者は虐殺する。しかし、憎しみの連鎖は生まれて、被支配者側も虐殺した。これがベトナム戦争が私たちに残した教訓だ。

戦争は、血で血を洗うようなものと言われる。映画は、戦争を美化するか? DVDのパッケージにくるまれて商品として売られる戦争映画が、戦争を美化しているのか? それは映画の内容と、映画を観るものの認識が問われているということだろう。