無政府主義的家族

映画「シェナンドー河(原題:Shenandoah)」を観た。

この映画は1965年のアメリカ映画で、アメリカの南北戦争に巻き込まれたある家族を描いた映画である。

この映画の主人公は、家族の家長であるチャーリー・アンダースンである。チャーリーは亡き妻マーサとの間に、7人の子供をもうけていた。家族は7人の子供と、チャーリーと、子供の内の一人のジェームスの妻であるアンとその二人の子供マーサから成る。計10人の大家族である。

この映画の時代背景としてアメリカの南北戦争が描かれている。アメリカの南北戦争とは、アメリカが黒人奴隷と自由貿易をめぐって、北の合衆国軍と南の連合国軍にアメリカが引き裂かれて戦った戦争のことである。

特にこの映画で印象的に描かれるのは、黒人の奴隷制度に賛成する南部と、反対する北部という対立である。

チャーリー一家は北軍とも南軍とも対立する一つの小さな勢力として描かれている。

チャーリー一家にみられる姿勢とは、どの政府にも頼らずに生きていく、独立した人間としての姿勢である。つまりチャーリー一家はある見方からすれば、反政府武装勢力なのである。

反政府武装勢力というと、ゲリラやならず者たちで、無秩序な集団というイメージがあると思われるが、チャーリー一家は決してならず者ではない。武装するのは、自分たちの身を暴力から守るためであり、決して略奪や殺人をするためではない。

しかし、チャーリー一家には他者の財産を壊すという破壊的な一面も持つ。チャーリーは、一家の一番下の“坊や”を探すため、北軍の列車を襲い焼き払う。チャーリーにとっては家族が一番であって、政府やその政府の主権者たちの財産が、自らの家族のために失われることは、自分の家族を奪われることに比べたら、たいしたことではないのである。

つまりチャーリー一家は特定の目線で見れば、単なる略奪者でもありえるのである。

戦争という破壊は戦地に無秩序をもたらす。その無秩序の一例としてチャーリー一家は描かれているのかもしれない。

チャーリーの息子とその妻は、強盗に襲われて死ぬが、はたから見ればチャーリー一家も強盗と違いはないのかもしれないとこの映画は示唆しているようでもある。ただここで言っておきたいのは、チャーリー一家は道徳を重んじる一家であるということである。しかし、残念ながらその道徳性は暴走を含むものなのである。