土地を失うこと

映画「ローカル・ヒーロー 夢に生きた男(原題:Local Hero)」を観た。

この映画は、1983年のイギリス映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の主人公は、マッキンタイアというアメリカに住むハンガリー系の、大企業に勤める男性だ。マッキンタイアの勤める会社は、石油の事業を扱っており、メキシコでも石油関連の仕事をしていたらしい。

マッキンタイアの勤める会社、ノックス社は、今度は西大西洋地域の開発のために、スコットランドの海岸に、石油の製油所と石油の貯蔵施設を建築しようとしている。マッキンタイアの同僚は、マッキンタイアにこう言う。

「メキシコ人は野蛮人だが、スコットランド人は俺たちと同じ英語を話すぞ」と。明らかに、ノックス社の社員はメキシコ人などの現地民を、劣った人種として見ている。差別意識が、明確にある、レイシストたちの会社が、ノックス社だ。

マッキンタイアは、社長のハッパーに、「スコットランドに調査に行ってくれ」と言われる。明らかに石油のコンビナートの建設のための買収に、マッキンタイアは行かされるはずなのだが、ハッパーはこうも言う。

スコットランドの夜空はきれいだ。星が良い。逐一、スコットランドの星について報告してくれ。乙女座の辺りを観るんだ」と。明らかにハッパーは、石油基地の開発とは、別の目的で、マッキンタイアを、スコットランドに行かせようとしている。

しかし、ノックス社の社長の意思と、ノックス社の社員の目指している目的は違う。ハッパーの言葉を、マッキンタイアは、社長の趣味の一環で、会社の命令とは別物で、適当に対応すればいいと考えている。

マッキンタイアは、スコットランドについてこう言う。「石油のない世界なんて想像できない。自動車、熱、インク、ナイロン、磨き粉、洗剤、人工ガラス、合成樹脂、ドライクリーニング液、防水コート、洗濯液、は石油でできている」と。

石油は、マッキンタイアの言うとおりに、今現在でも、あらゆる製品に使われている。プラスチックの原料は石油だ。石油から樹脂を作り、樹脂を型に入れて、型に熱をかけて、プラスチック製品を成型する。これは、石油製品の使われ方の一例に過ぎない。

石油は生活のあらゆる面に浸透している。ならば石油を掘り、その流通を管理すれば、莫大な利益が得られる。だからノックス社は大企業になっているのだ。ノックス社はいわゆる、多国籍大企業だ。

映画の中では、ノックス社のアバディーン支社に勤めるダニー・オルセンという人物が登場する。ダニーは何か国語も言葉をしゃべれる。交渉の際に必要な能力なのだろう。この映画に出てくるノックス社の社員は、当然のようにエリートばかりだ。

アメリカやヨーロッパの企業が、ヨーロッパ圏外の国に、資源を求めて、開発をする。その開発には、国の援助が企業にされる。現地の人は土地を奪われ、食べ物を作ることができなくなり、土地は汚染される。

このような構造を持つものを、エクストラクティブ・キャピタリズムExtractive Capitalismと総称することができる。いわゆる現在に続く、アメリカや西洋圏の国々による、植民地主義から続く、第3世界の搾取のことだ。

石油のパイプラインは、石油漏れの原因となる。石油が漏れれば、土地が汚染されて、飲み水は飲めなくなり、作物は育たなくなる。また、石油を探すために、森林の伐採が行われる。石油やその他の資源を探すために、木々を切り倒し、土地を探索する。

例えばこのような、資源を探すための森林伐採は、実際ブラジルのアマゾンで、現在も行われている。そして、森林伐採により土地に住むことができなくなった現地民が、森林伐採に反対する運動を展開している。

デモクラシー・ナウ! Democracy Now!の2022年の8月18日の記事”The Territory”:New Film Documents Indigenous Fight Against Illegal Deforestation in Brazil’s Amazonという記事では、ブラジルのアマゾンで、森林伐採が行われて現地民が土地を追われている状況を伝えている。

この記事事体は、その状況を伝える、ドキュメンタリー映画の紹介をしている。入植者や農場主が、森林伐採をして、土地を奪い、食料を奪い、生活を奪い、現地民の人たちの生きる権利を奪っている、状況が今現在(2022.8.20)ある。

また、そのような貧しい状況に追い込まれた人たちは、ブラジルの政治家ルーラの政権の元では、教育やヘルスケアが受けられたとある。ブラジルの森林伐採を促進する企業や政権とは逆の、正しいことをしている政権がブラジルにはあった。

しかし、その後のボルソナロ政権は企業と癒着した政権だった。そして今(2022.8.20)ブラジルでは、森林伐採をするような開発者や国と、現地の人たちの対立が起こっている。映画「ローカル・ヒーロー」では、現地民の人たちはブラジルの人たちとは違った反応をした。

スコットランドの現地民たちの海岸地域には、漁師たちが住むが、彼らは非常に貧しい。だからお金がもらえる土地の買収は彼らには、そんなに嫌なものではない。しかし、スコットランドの現地民の人たちは、土地が買収される結果というものがしっかりとわかっていない。

パイプラインが引かれて、土地が汚染される可能性があることは、スコットランドの現地民には説明されない。科学者は「土地は頑丈な土地を選んだ」と言っているが。その言葉は頼りなく、映画中では科学者のペテンぶりが滑稽に描かれている。

スコットランドの現地民たちは、土地から離れて、その先の土地にうまく適応できるのだろうか? 金がすべてを解決するのか? 新しい土地で彼らは職にありつけて、その職を続けることができるのか? 彼らの精神の安らぎは? 彼らの未来はどうなっているのか?

「そんなこと知ったこっちゃない」。それがマッキンタイアや、マッキンタイアの同僚たちの意見だろう。マッキンタイアたちは今の仕事で、十分な給料を得ている。「ポルシェ930ターボに乗れる。適当に女性もとっかえひっかえだ。この生活は、捨てたくない」。

エリートと現地民の人たちの、格差、温度差、がここでは見ることができる。エリートは想像力に欠ける。それとも現地民の人たちのことを、人とは思っていないのか? それとも、自ら望んで思考停止しているのか?

この映画「ローカル・ヒーロー」は、コメディだ。徹底的に、金にコントロールされる人たちや、金持ち、そして教育のない人たちまでも、ある意味残酷に滑稽に描く。映画の視点は、現地民の無教養さの欠点を暴く。

この映画「ローカル・ヒーロー」は、イノセントな現地民を描くというより、エクストラクティブ・キャピタリズムに無知な人たちすべてに挑戦状を叩きつける。その挑戦は、コメディによる諧謔だ。コメディは実は、残酷だ。だが、コメディは正しいのかもしれない。

この映画の救いは、現地民と巨大多国籍企業の人との交流、巨大多国籍企業の人の自然への感動だろう。この映画のクライマックスは、夢物語かもしれないが。